『ソクラテスの弁明 クリトン』1 まず、ソクラテスの弁明とは
ソクラテスの弁明とは
ペロポネソス戦争でアテナイがスパルタに敗北後の紀元前404年。
アテナイでは親スパルタの三十人政権が成立し恐怖政治が行われた。
三十人政権は一年程度の短期間で崩壊した。
代わって国の主導権を奪還した民主派勢力の中には、ペロポネソス戦争敗戦や三十人政権の惨禍を招いた原因・責任追及の一環として、ソフィスト・哲学者等の「異分子」を糾弾・排除する動きがあった。
ペロポネソス戦争において致命的な働きをしたアルキビアデスや、三十人政権の主導者であったクリティアス等と付き合いがあり、彼らを教育した師であるとみなされていたソクラテスも、その糾弾・排除対象の一人とされた。
特にソクラテスが「神霊(ダイモニオン)」から諭しを受けていると公言していたことが、「新しい神格を輸入した」との非難の原因となった。
こうしてソクラテスは、「国家の信じない神々を導入し、青少年を堕落させた」としてる。
紀元前399年初頭に裁判が行われる。
本篇『ソクラテスの弁明』ではその場面を題材とする。
この告発に対し、ソクラテスは全面的に反論。
いささかの妥協も見せない。
その結果ソクラテスには死刑が宣告された。
死刑宣告された後のソクラテスは、牢屋に約30日拘留された。
その後、刑執行によって毒ニンジン杯を飲んで死亡する(参照:『クリトン』『パイドン 』)。
ソクラテスの刑死から6年後の紀元前393年
ソフィスト・弁論家であるポリュクラテスが、『ソクラテスに対する告発』という、アニュトスの法廷告発文を脚色した作品を発表。
プラトン 『ソクラテスの弁明』
クセノポン『ソクラテスの弁明』
クセノポン『ソクラテスの思い出』
参考
『ソクラテスの弁明 クリトン』
プラトン 著
久保 勉 翻訳
岩波文庫 青601-1
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