道頓堀
わかぎゑふ×中村鴈治郎×茂山逸平『棒しばり×棒しばり』
(『起き上がりこぼし』の想い出も交えて)
狂言の『棒縛』でも歌舞伎(松羽目物)の『棒しばり』でも無い。
わかぎゑふ×中村鴈治郎×茂山逸平の歌舞伎と狂言を本当の意味でソーシャルディスタンスを保った舞台。
コロナ禍というヶを交えながら、新年というハレに転じ、わかぎゑふのユーモアを以って狂言と歌舞伎本来の地位ソーシャルディスタンスを取っ払ったこの舞台は、正月にふさわしい。
また、『棒縛』の三番叟的なリズムも正月にふさわしく、見ていて心地が良かった。
近年、狂言と歌舞伎のコラボなどと云った舞台が話題になることが多いが、一昔前までは狂言師と歌舞伎役者が言葉を交わすと云ったことがない時代もあったと、何かに記されていた。
こう云った芸能の歴史は『演者と観客』を始め、多くの書物に描かれているが、新しい時代を築き上げ、狂言師と歌舞伎役者が同じ舞台に立つというのは嬉しい限りである。
コロナにおいてのソーシャルディスタンスは必要だが、芸能においての隔ては不要である。
面白いことに狂言師と歌舞伎役者では、発声の仕方が全く違う。
かと云って、どちらがいいというものではなく、いとつのお舞台で、狂言と歌舞伎を見ることができ、大変面白かった。
茂山逸平も、中村鴈治郎もたいそう良かった。
また、古典である『棒縛』の脚本を手がけたわかぎゑふ。
彼女も、今の困難(コロナ)をうまく配慮しつつ、新年を祝う。
古典『棒縛』に縛られるだけではなく、新たな展開を魅せたことに拍手を送りたい。
『棒しばり×棒しばり』の中で、彼女は、『起き上がりこぼし』を交えたと云う愛嬌にも敬意を払いたい。
今回の舞台では、棒に縛られた二人が
「合点じゃ」
「合点じゃ」
「合点じゃ」
「合点じゃ」
と連呼していたが、本来は、
京に京に 流行るぅ
起き上がり こぼぅし じゃよぅ
合点か
合点じゃ
合点 合点 合点じゃぁ
と云った歌で、四方向から狂言師が対角にでんぐり返りを繰り返すと云ったお舞台である。
この『起き上がりこぼし』は、少し エ◯チックで、茂山千之丞が満面の笑みで舞台から降り、閉めた扇でリズムを取り、会場の女性軍に大合唱をさせたと云ういでたちがある。
確か子供が幼い頃、子供劇場のチケットで入場でき、友人と二人で狂言を楽しんだ日であったが、そう云ういでたちなので、幼子のお母様方(女性)が満席の会場であった。
女性たちは大合唱で、
合点か
合点じゃ
合点 合点 合点じゃぁ
とやったものだから、わたくし、千之丞が歩いてこられると下を向いてしまった。
と云うのも、私は恥ずかしくって、歌うことができなかったのだ。
そんなこんなの思い出のある『起き上がりこぼし』『棒しばり×棒しばり』で一部もじり、演じられたものだから、ほくそ笑んでしまった。
こりゃ、今年も良い年になるわいなぁ!
脚本・わかぎゑふ、
出演・中村鴈治郎、茂山逸平