歌舞伎『暗闇の丑松 』(くらやみのうしまつ )
昭和58年
歌舞伎座
菊五郎
巳之介
権十郎
田之助 他
長谷川伸
誕生 長谷川伸二郎 1884年3月15日 日本の旗 日本・神奈川県横浜市日ノ出町 死没 1963年6月11日(79歳没)
東京都中央区明石町 墓地 高福院(東京都品川区) 職業 小説家 劇作家 言語 日本語 活動期間
1914年 - 1963年
小説 主題 股旅物
代表作 『関の弥太っぺ』(1930) 『瞼の母』(1936) 『荒木又右衛門』(1951)
歌舞伎 戯曲、三幕。
長谷川伸作。昭和九年(1924)六月、六世尾上菊五郎が初演。
一時の激情から殺人を犯した料理人丑松は、愛妻お米を親方四郎兵衛にあずけて江戸を立退いた。 一年たって妻恋しさに帰る道中、四郎兵衛の為に身をけがされ、板橋の妓楼に売られていたお米と会う。お米は丑松に本当の事を知ってもらえず、その夜自殺した。丑松は翻然として四郎兵衛の非道に気づき、江戸へ帰るや四郎兵衛夫妻を殺し、何処ともなくのがれて行く。 暗い運命を背負った男の悲哀が全篇を貫き、見る人の胸をうつ。六世菊五郎の絶妙のうまさが、今も話題となっている。
何度となく見た『暗闇の丑松 』だが、昭和58年のこの芝居も味があって良い。
昭和58年といえば、私も南座で歌舞伎を見たことが幾度と無くあった。
昔の芝居は高さというか天井の加減なのか。今よりも舞台が小さく感じ、その上、役者の演技のデフォルメが大きく、役者が大きく感じたものだ。
おかしな場面では、現在入りも観客がためらうことなく大笑いをしていがのが心地よかった事を覚えている。
現在では歌舞伎の芸術性が強調された為かどうかは芝居知らずの私にはわからないが、役者の臭い芝居や、芝居8倍どころか4倍と云った型にはまった言い回しや所作も縮小の傾向にあるように感じる。
実力のない役者が、基本を身につけず、絶えず新しい方向に歌舞伎も動く、芝居は常に新しくあれと強調し、歌舞伎的な家筋があるというだけで、受賞までするという浅はかな入内は、今に始まった事ではないのかもしれないが、それにしても、ここのところS株式会社の経営方針には首をかしげる。
海老蔵の様なスター性のある役者ならまだしも、下手で口が半開きの基本がなってない役者。あれはなんだ。R歌舞伎だのといった間の悪い、馬鹿げた内容などばかりを追う、歌舞伎に力が満たない者を表に出すなと言いたい。なぜなら、歌舞伎は昔に比べ、大幅に値上げされているのだから。役者は本腰を入れて舞台に臨むべきであろう。
福助の襲名も残念な結末になったが、他にも扇雀など多くの上手い役者がいるにもかかわらず、もっと表に出さないのはどう言ったことか!
友人が、そんな内容を、電話の向こうで熱弁をふるう熱気が伝わってきた。
今回も簡単な記録のみにて失礼申し上げます。