竹斎老宝山吹色(ちくさいらう たからの やまぶきいろ)11 九丁裏 十丁表 寛政六年 築地善交作 北尾重政画
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早稲田大学 古典籍総合データベース
九丁裏
じんきよし、たびやう
人にハまづいでねバをした
たりのませて、きよし
たる水ををぎなひ、
それよりからだのぐ少や
つきをなをすにハ、
百がひめのりを一ど
にくらせて、天日に
あてれバ、松井源
水がこまのごとく
からだが
むく/\
しゆんと
なるなり
僧に曰、「まん一からだが
しやちでばりすぎ
たるときハよこづち
似てたゝくべし、
もつとも
秘すべし
/\
竹斎らう、さてもわるい
ぢぐちだをいたけれと、くハへぎせる
ゆへ、玉つている、
十丁表
門人、いもほり
やがあん
七くさにてきりをふく
プウ/\/\プ
プヽプヽプウ
/\
なんとたばこや
でも、はだしで
あらふがや
九丁裏
お
りやう
じハ
さま
で
くるし
くも
十丁表
ないが、おで
しさまの
おぢぐちを
きいてゐる
が
くる
し
い
十丁表
おハり大こん
きりふきや/\
天日
てん‐じつ
太陽。日輪。
天日
てん‐ぴ
太陽の光。また、その熱。「天日干し」
松井源水
大道芸人・香具師(やし)。
元祖玄長は越中の薬売り。
延宝・天和(1673~1684)のころ、4世源水が江戸に出て以来、代々浅草を本拠に居合い抜き・曲独楽(きょくごま)などを行いながら歯薬などを販売した。
曲独楽(きょくごま)(松井源水)
曲独楽(きょくごま)とは、独楽を使った曲芸。
独楽の曲芸の元となった流れは、大きく分けて3種類ある。
宗教儀式 大衆演芸 富山の薬売り・香具師の商売上の方便。
このような大衆的日本の芸能の特徴として挙げられるのは、芸の発生の細かい記録がとられていない点である。
原因としては芸にたずさわる人間が、文字を読み書き出来なかったことがあげられる 実際他人の目に触れて芸人らしい記述が登場するのは1600年代のことである。
名古屋城の襖絵にも、城下町の賑わいを残した描写の中に「風車」という曲目を演技中の曲独楽師の姿がある。(ウィキペディア)
おハり大こん
尾張大根(宮重 (みやしげ) 大根の別名。)
宮重 (みやしげ) 大根
ダイコンの一品種。
愛知県清須市宮重の原産。
根の上部は地表に出て緑色となり、甘味がある。
尾張大根。
竹斎老宝山吹色(ちくさいらう たからの やまぶきいろ)1 表紙 寛政六年 築地善交作 北尾重政画 竹斎老宝山吹色(ちくさいらう たからの やまぶきいろ)2 口上 寛政六年 築地善交作 北尾重政画 竹斎老宝山吹色(ちくさいらう たからの やまぶきいろ)3 一丁裏 二丁表 寛政六年 築地善交作 北尾重政画 竹斎老宝山吹色(ちくさいらう たからの やまぶきいろ)4 二丁裏 三丁表 寛政六年 築地善交作 北尾重政画 竹斎老宝山吹色(ちくさいらう たからの やまぶきいろ)5 三丁裏 四丁表 寛政六年 築地善交作 北尾重政画 竹斎老宝山吹色(ちくさいらう たからの やまぶきいろ)6 四丁裏 五丁表 寛政六年 築地善交作 北尾重政画 竹斎老宝山吹色(ちくさいらう たからの やまぶきいろ)7 五丁裏 六丁表 寛政六年 築地善交作 北尾重政画 竹斎老宝山吹色(ちくさいらう たからの やまぶきいろ)8 六丁裏 七丁表 寛政六年 築地善交作 北尾重政画 竹斎老宝山吹色(ちくさいらう たからの やまぶきいろ)9 七丁裏 八丁表 寛政六年 築地善交作 北尾重政画 竹斎老宝山吹色(ちくさいらう たからの やまぶきいろ)10 八丁裏 九丁表 寛政六年 築地善交作 北尾重政画 竹斎老宝山吹色(ちくさいらう たからの やまぶきいろ)11 九丁裏 十丁表 寛政六年 築地善交作 北尾重政画