富田高至 編者
恩頼堂文庫旧蔵本 『仁勢物語』 41 十九丁裏 二十丁表と、『伊勢物語』岩波古典文学大系9
和泉書院影印業刊 65(第四期) 1998年
41 十九丁裏 二十丁表
十九丁裏
◯をかし女胎て、二子うみけり、一人ハいやしきおとこのまつ
しき、ひとりハあてなる男の子也けり、賤しき男
七夜の内に産衣(ウフキ)をしててつからもちてや申侍り、
心さしハいたしけれと、さる やさしき事にもなれたり
けれハ、産衣のかたに針を然しけつきをむとて
きをけれハ、とゝなきになきける、是をあてなる
男見て、いとおかしかりけれハ、いと結構なる綾羅(レウラ)
の産衣を自慢(ジマン)してやるとて
むらさきの 色よき絹ハ金春の
能のいしやうに まさりたるけり
紫の小袖なるへし
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『仁勢物語』和泉書院影印業刊
むらさきの 色よき絹ハ金春の
能のいしやうに まさりたるけり
『伊勢物語』岩波古典文学大系9より写す
紫の 色こき時はめもはるに
野なる草木ぞ わかれざりける
胎て(はらみて)
胎す
1 母体の子が宿るところ。子宮。また、宿った子。
2 「胎蔵界」の略。
胎て(胎す)
①みごもる。はらむ。「胎教」「受胎」
②子の宿るところ。子宮。「胎盤」「母胎」
③はじめ。きざし。「胚胎(ハイタイ)」
産衣(ウフキ)
うぶきぬ
まつしき
貧しき
金春 (大辞泉)
能楽師の姓の一。シテ方と太鼓方にこの姓がある。金春禅竹の曽祖
金春流〘名〙 (日本国語大辞典)
① 能楽シテ方の一流派。 大和猿楽の円満井(えまい)座(または、竹田座)から出、能楽五流中最古の流派。世阿彌の女婿の禅竹が流風に新生面を開き、桃山時代には全盛をきわめた。こんぱる。 ※金春座系伝書‐宗筠袖下(16C後)「金春流にかさね文字と申は、高砂の尾の上の鐘の音す也と詠ふ事也」 ② 能楽囃子方太鼓の一流派。 金春禅竹の叔父にあたる金春三郎豊氏を祖とし、はなやかな芸風を持つ。 六代惣右衛門一峰のとき、徳川家康に召し出され、以後、金春惣右衛門流、または惣右衛門流と名乗ることが多い。 こんぱる。 金春禅竹 [生]応永12(1405) [没]文明2(1470)頃 室町時代の能役者,能作者。 金春流シテ方 30世太夫。 実名七郎氏信。前名弥三郎。 毘沙王権守喜氏の曾孫,弥三郎の子。 世阿弥の女婿として薫陶を受け,十郎元雅とも親交があり,地味な芸風ながら音阿弥と並ぶ名手であった。 世阿弥の佐渡配流中も赦免後もよく世話をしたという。 『花鏡』の相伝を受け仏教や歌道に基づく芸術観を深めた。 『六輪一露之記』『歌舞髄脳記』『五音三曲集』『拾玉得花』などの理論書がある。 一休や一条兼良との交友も知られる。 作能に『定家』『雨月』『芭蕉』『玉鬘』などの名曲がある。
綾羅(レウラ) (りょうら)
あやぎぬ(=模様を織り出したきぬ)と、薄いきぬ。
紫の小袖
例
和歌山市 江戸時代後期 一領 和歌山市湊本町3丁目2番地 和歌山市立博物 紀州徳川家伝来の小袖。 紫縮緬地に葵紋が染め抜きされている。 裾部は菊・萩といった秋草を、腰部は雪を被った松竹梅を描き、秋から冬への季節の移り変わりを表している。 彩色は刺繍で行われる。 武家女性が好んだ御所解模様の小袖。