『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-14 【巻一 のどかな新春二日目 夜の松明と褄折笠を重たげに担ぐ仕丁】五十紙〜五十三 中央公論社 小松茂実編
日本絵巻大成 8 五十紙〜五十三
夜の松明と褄折笠を重たげに担ぐ仕丁。
板橋を隔てて、賀茂の河原には、老若男女の見物の人々。
のどかな新春二日目の喜色が人々の顔にみなぎっている。
松明 松のやにの多い所や竹やアシなどを束ね、火をつけて照明とするもの。 褄折笠 股旅ものなどの時代劇で渡世人が被っている印象が強い。 もとは江戸、京都、大坂の三ヶ所を毎月三度ずつ往復していた飛脚(定飛脚)のことを三度飛脚と呼び、彼らが身に着けていた事からその名が付いた。 名前の由来 三度がさ 三度飛脚 褄折笠 傘のつま(端)能登ことで折れている。 大深 深さのある傘(顔を隠せる女笠) 女性用として寛延、宝暦頃まで用いられた。 初めて製されたのは貞享年間であり、俗に「大深」と称せられたほどの深さの女笠であった。 その深さについて「守貞謾稿」は「誤つて落馬することある時面部を疵せざる備へか」といい、本来は女性用であった事から顔を隠す程度の深さになったともいう。 女性用は紐を後ろの方で輪にして髷の下にかけ、頤の下で結んだが、文化頃には既に女性用として用いられなかった(「塵塚咄」)。 女性用の笠は妻折笠(つまおりがさ)とも呼ばれる。 「守貞謾稿」には「文化以前は旅商専らこれを用ゆ、文化以来は雷盆(すり鉢)形の菅笠を用ゆ、飛脚宰領は今も三度笠を用ゆ」という。 この様に女笠から男笠に移り、また別に三度飛脚の常用とされた。 頂の部分が平らな笠は饅頭笠と呼ばれた。 (ウィキペディア) 仕丁(しちょう、じちょう) 昔の官庁や貴族の家の雑役夫。