金々先生造化夢 7 五丁裏 六丁表 山東京伝 作 北尾重政 画
寛政6年 版元 蔦屋重三郎
金々先生造化夢 山東京伝 作 北尾重政 画
山東京伝 1761-1816
北尾重政 1739-1820
[江戸] : [蔦屋重三郎],
寛政6[1794]序
黄表紙
一冊 19cm
読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー
ヘ13 02056 0012
五丁裏
ひやくしやうの仙人、いちやづけめしの
さいになる、けうの おの大こんをつくらん
と、まづ大こんのたねをまゝ、此たね
をまゝまでにも、はたけをかない
こやしをかけ、大こんになるまでのしん
くハさらにたとへがたし、
五丁裏
又、ちゃつみの仙人ハちやづけのに
ばなになるちやをつむ、これも
ちやになるまでのしんくいか
ばかりか、しれず
五丁裏
「ちやつみの女中にみとれて
おもハずちやの木にだき
ついた そゞろな人さん
じや チンツ チャン/\
などゝちや
つみの仙
女、ごう
せへに
かく
五丁裏
「はやく
こつちへ
きせん
ほうし
わがいほハ
六丁表
みやこの
ちやつみ
しるぞ
すな
よう
うち/\と
らち
のあ
かぬこ、
たぞ
じれつ
てへそ
よウ
六丁表
「おさる
さん、
かんぶつ
のちつたま
めぞうを
こるやうに
ざるを
もつて
まご/\
しなさんな
五丁裏 中
「たねから大こを
とらヤァ/\
なむこう
たんのうと
にんげんに
きこへれ
ば、いく
が
けうの おの大こん
京の小野大根か?
「はやく
こつちへ
きせん
ほうし
「早くこっちへ喜撰法師」
「早くこっちへ来せん法師」
きせん(掛詞)
喜撰法師
伝不詳。宇治山に住んだ僧ということ以外、確かなことは判らない。
いわゆる六歌仙の一人で、古今集仮名序には
「ことばかすかにして、はじめ、をはり、たしかならず。いはば、秋の月を見るに、あかつきのくもにあへるがごとし。よめるうた、おほくきこえねば、かれこれをかよはして、よくしらず」
と評されている。
『元亨釈書』には「窺仙」なる僧が宇治山に住んで密咒をなし、長生を求めて仙薬を服し、あるとき雲に乗って去って行った旨書かれている。
また『孫姫式』には「基泉」の作が載るという(『古今和歌集目録』)が、いずれも喜撰と同一人物かどうか判らない。
歌は古今集の一首以外たしかなものは伝わらない。
歌学書『喜撰式』の著者と永く信じられていたが、今日この書は平安中期の偽書とみる説が有力視されている。
題しらず 喜撰法師
わが庵は都のたつみしかぞすむ世をうぢ山と人はいふなり(古今983)
喜撰法師は宇治山に住んだ僧であり、『金々先生造化夢』のここでは、茶摘みの話と挿絵を用いている。
宇治は現在も有名茶所で、黒い風通しの良い布で直射日光を遮って茶を育て、玉露を作っている。