金々先生造化夢 1 山東京伝 作 北尾重政 画
寛政6年 版元 蔦屋重三郎
金々先生造化夢 山東京伝 作 北尾重政 画
山東京伝 1761-1816
北尾重政 1739-1820
[江戸] : [蔦屋重三郎],
寛政6[1794]序
黄表紙
一冊 19cm
読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー
ヘ13 02056 0012
北尾重政 (大辞林)
(1739~1820) 江戸中・後期の浮世絵師。独学で一家をなす。
錦絵の美人画をよくし、独自の画風を完成。
北尾派の祖。また、能書家でもあった。
北尾派
北尾重政を祖とする浮世絵の一派。
政伸(まさのぶ)(山東京伝)・政美(まさよし)(鍬形蕙斎 (くわがたけいさい) )らが知られる。
政美(まさよし)(鍬形蕙斎) (日本大百科全書)
江戸後期の浮世絵師。
江戸の畳商の子として生まれる。
初め赤羽、のち鍬形(くわがた)氏。
名は紹真(つぐざね)、字(あざな)は子景、号は蕙斎(けいさい)、杉皐(さんこう)、通称三二郎。
晩年は鍬形蕙斎の画名で聞こえた。
北尾重政(しげまさ)の門人で、1780年(安永9)に『十二支鼠(ねずみ)桃太郎』ほか数点の黄表紙に挿絵を描き、浮世絵師としてデビューした。
黄表紙、洒落本(しゃれぼん)、噺(はなし)本、滑稽(こっけい)本、地誌、随筆類など多方面の版本に挿絵を提供、また天明(てんめい)年間(1781~89)のなかばごろから美人画や武者絵、浮絵(うきえ)などの錦絵(にしきえ)を発表した。
94年(寛政6)5月、津山侯のお抱え絵師となり、97年6月鍬形氏に改姓、幕府の奥絵師狩野養川院(かのうようせんいん)惟信(これのぶ)に入門した。
寛政(かんせい)年間(1789~1801)なかば以降『略画式』(1795刊)、『山水略画式』(1800刊)などの画譜類を多く出版、また『近世職人尽絵詞(えことば)』(東京国立博物館)など肉筆画に主力を注いだ。[小林 忠]
蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)
寛延3年1月7日〈1750年2月13日〉 – 寛政9年5月6日〈1797年5月31日〉
つたじゅう
江戸時代の版元
現在のレンタルビデオ・書店大手企業の1つである「TSUTAYA」は、創業者の祖父が営んでいた屋号が「蔦屋」だったことにちなみ、名付けられた。