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Channel: 乱鳥の書きなぐり
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島原住吉神社(色香あらそう神垣の梅)/ 幸天満宮(ちりづか山に交わる瑞垣)富士谷成章

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 島原住吉神社(色香あらそう神垣の梅)幸天満宮(ちりづか山に交わる瑞垣)富士谷成章


  住吉の松の常磐に春はなほ 色香あらそう神垣の梅
                         富士谷成章

  曇なく神の光もやはらぎて ちりづか山に交わる瑞垣
                         富士谷成章




                


 島原住吉神社

  住吉の松の常磐に春はなほ 色香あらそう神垣の梅
                         富士谷成章

 富士谷 成章(ふじたに なりあきら、元文3年(1738年) - 安永8年10月2日(1779年11月9日))は、江戸時代中期の国学者。皆川成慶(春洞)の次男で、儒者皆川淇園の弟。柳川藩京都留守居富士谷家の養子となる。通称は専(千)右衛門。字は仲達。号は咸章、北辺。生まれは京都。子に富士谷御杖がいる。  (ウィキ引用)


 島原住吉神社
 島原住吉神社は、もと島原中堂寺町の住吉屋太兵衛の自宅で祀っていた住吉大明神が、霊験あらたかにして良縁の御利益があり、参詣者夥しきため、享保17年(1732)祭神を島原の西北に遷座し建立された。
 その規模は、南は道筋(島原中央の東西道)から、北は島原の北端にまで及び、広大な境内地を有した。爾来島原の鎮守の神として崇められ、例祭とともに、太夫・芸妓等の仮装行列である「練りもの」が盛大に行われていた。

 明治維新後の廃仏毀釈→神社株を持たない当社は廃社となり、祭神を歌舞練場内に祀ることとなった。
 明治36年(1903) →船井郡本梅村から無格稲荷社の社株を譲り受け再興した。
            現在の狭い境内地となリ、正式社名も住吉神社は認められず、稲荷神社とされた。
 平成11年(1999) →社殿、拝殿を改修のうえ、社務所も新築し、境内の整備。
            同13年には、懸案の社名を島原住吉神社と改称し、旧に復する。




 幸天満宮(島原住吉神社 内)

 曇なく神の光もやはらぎて ちりづか山に交わる瑞垣
                    富士谷成章
                                           

 住吉神社の境内社である幸天満宮は、当初揚屋町の会所に天神の祠があり、それが、享保19年(1734)当所に遷座した。
 延享5年(1748)→筑紫太宰府天満宮にならい、鷽替の神事が営まれ。
 色紙、短冊などを持ち集まり、「鷽を替えん」と言いつつ取り交わす甚だ興あるものだったが、明治以降は完全に廃れてしまった。




 〒600-8829 京都府京都市下京区西新屋敷下之町1−6


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