十年程前に購入した近松全集であったが、影印の文字が読めないので、諦めていた。
そして夜中久々に近松全集の中でも好きな演目作品を次々とて見とって開けてみれば、なんと割合に読めるではないか。
気をよくして明け方近くまで読んでいたが、突然、ブログに字を起こしてみようと思い立った。
ただし、いつまで続くかはわからない。
『近松全集第七巻』「冥土の飛脚」 1 オ
運が向いてくると良いことが起こり始める。
スキャンができずに買い換えたコピー機であったが、新しいものもうまくいかず悶々としていた。
ところが、昨晩、突然に動き出す。
絶好調とはこのことか。
本をスキャンするのは久々であり、この喜びは大きい。
朝になり、夫との朝食タイムで、近松を読み始め、1ウ(1ページの裏)だけを書き起こしたと伝え、作中出の「敷金」の話をしていると『近松語彙』(上田萬年 樋口慶千代 共選)をくれた。
「『古典文学大系』の「頭注」などに載るってない場合に引くといいよ。」
にゃるほど〜!と、乱鳥 喜ぶ。
ま、私が知らぬ間に購入したことは別として、これはいいねと心が弾む。
『近松語彙』(上田萬年 樋口慶千代 共選)より
しきがね(敷銀)とは (165)
敷銀する手間取を尋ねられうも知れまい。(薩摩歌)
在所に歴(列記)とした親もあり、敷銀してあの下種(げす)に払われうはずはない。(卯月紅葉)
「敷銀」
縁づく時の持参金。