三番叟 天神祭に 帝国ホテル前 船能
明日から蜷川実花監督の『人間失格 太宰治と3人の女たち』が上映される。
只今『太宰治全集 小説9』の中から昔読んだ「人間失格」を再読しているが、あと十余頁というところで止まっている。
同じく『太宰治全集 草稿』にも「人間失格」が載っているので、こちらも読んでから映画に挑もうと思っていたが、おそらく時間切れ。
蜷川実花監督のお話だと、三人の女性たちもエッセイか何かを書かれていらっしゃるようなので、そこまでたどり着きたかったが、とにかく、明日は何があれ、是非封切りの『人間失格 太宰治と3人の女たち』を見たいと意気込んでいる。
さて、小説「人間失格」だが、なんとなく懐かしい描写が思い出され、小説を読んでいて眠ると、中学生の頃よく見た夢を久しぶりに見た。
それは、某作家の小説の一場面であった。
夫に夢の一部を話すと、見事に小説家と作品名を言い当てた。
小・中学生の頃は小説にはまり、有名な小説は全部読んでやるぞと息巻いていた。
一日中ほんと格闘し、一日で新潮文庫3,4冊を読むことも何度かあった。
今ではそこまで読む気力はないのだが、昔読んで感動したものや、逆に嫌いだった作品を読み返して、齢を重ねた今の私ならどう感じるのか探って見たい気がする。
時間が欲しい!
時間の使い方が悪いのか、やりたいことが多すぎるのか、毎日が不完全燃焼気味である。
映画も見たい、芝居も見たい。
美しいものを見たい。そして本を読み、芸術と戯れたい。
どういうわけか、本と古典と芝居と芸術が一筋の道に繋がりを見せ始め、何を見ていても読んでいてもその関連性に気づき、楽しい思いをしている。
先月は『日本書紀』を読み進めていて、あれも、これも芝居になってるよねって、一人で納得してほくそ笑んでいた。
『古事記』は完読したことがあるが、『日本書紀』を読んでないことにコンプレックスを感じていた私。
またほんの一部を読んだだげだが、『日本書紀』って結構面白いねと感じた。
奈良の歴史はとんと疎い私だが、芝居と本や古典と美術と音楽を繋げて楽しむアホさ加減だけは負けないよと、自分をかばう。
集合体の問題で、今私は落ちこぼれてるのか知らんとほくそ笑む。
大阪歴博の講演や奈良の大和川の三講師の講義では古い資料に基づき大阪から肥料、奈良からは綿を大和川で運搬していたとお聞きしたことがあるが、それに寄れば、肥料と載っていた。
某氏寄れば、大阪からは味などの魚の肥料であり油粕ではないとおっしゃった。歴史には自信がないので、その場で自分の言葉を持たないのが残念である。
大阪伏見区呉服町で大文字屋 を始めた三田氏が干鯵(ほしか)や油粕の肥料商や柏原船の船仲間や地主として栄えたと伝えられているので、油粕も奈良に船で運搬されたことは否定できないであろう。
大阪歴博では肥料や米相場の話を聞く機会が多かったなと、懐かしむ。
ネットで調べてみるとほんの3,4年前、NHKの朝のドラマ(?)ではこれに近い話が取り上げられていたようだ。
私はNHKの朝ドラ(?)と大河ドラマを見たことがないので知らなかったのだが、大阪からはにしん(?)が大和川を伝って奈良に運ばれたという場面があったらしい。
奈良でも菜種油などをとっていたり、東大寺など独占権を持っており、闇で安価な油を売ると僧兵が火をつけたと言った資料が残っている。
奈良でも油粕は採れたに違いないが、戦国時代においては京都の大山崎の大山崎油座があまりにも有名であることも忘れてはならない。なので、ここでも油粕は大量に採れたと想像できる。
奈良は至る所に田畑があるちゅ高菜土地だが、私は奈良の油粕も多く採れたに違いないが、大阪からの肥料が運搬されていたことを考えると、奈良油粕高はどれくらいであったのかと想像するが、本日読んだ資料の趣旨からかけ離れている内容なので、歴史嫌いの私にはもうどうでもよくなってきた。
それより御託鵜を並べてないで、明日の映画に備え、体力温存のために眠るかあるいは太宰の小説の続きを読むか、はっきりしなさいと自分を叱りたい。
陽はまた登る。
明日から蜷川実花監督の『人間失格 太宰治と3人の女たち』が上映される。
只今『太宰治全集 小説9』の中から昔読んだ「人間失格」を再読しているが、あと十余頁というところで止まっている。
同じく『太宰治全集 草稿』にも「人間失格」が載っているので、こちらも読んでから映画に挑もうと思っていたが、おそらく時間切れ。
蜷川実花監督のお話だと、三人の女性たちもエッセイか何かを書かれていらっしゃるようなので、そこまでたどり着きたかったが、とにかく、明日は何があれ、是非封切りの『人間失格 太宰治と3人の女たち』を見たいと意気込んでいる。
さて、小説「人間失格」だが、なんとなく懐かしい描写が思い出され、小説を読んでいて眠ると、中学生の頃よく見た夢を久しぶりに見た。
それは、某作家の小説の一場面であった。
夫に夢の一部を話すと、見事に小説家と作品名を言い当てた。
小・中学生の頃は小説にはまり、有名な小説は全部読んでやるぞと息巻いていた。
一日中ほんと格闘し、一日で新潮文庫3,4冊を読むことも何度かあった。
今ではそこまで読む気力はないのだが、昔読んで感動したものや、逆に嫌いだった作品を読み返して、齢を重ねた今の私ならどう感じるのか探って見たい気がする。
時間が欲しい!
時間の使い方が悪いのか、やりたいことが多すぎるのか、毎日が不完全燃焼気味である。
映画も見たい、芝居も見たい。
美しいものを見たい。そして本を読み、芸術と戯れたい。
どういうわけか、本と古典と芝居と芸術が一筋の道に繋がりを見せ始め、何を見ていても読んでいてもその関連性に気づき、楽しい思いをしている。
先月は『日本書紀』を読み進めていて、あれも、これも芝居になってるよねって、一人で納得してほくそ笑んでいた。
『古事記』は完読したことがあるが、『日本書紀』を読んでないことにコンプレックスを感じていた私。
またほんの一部を読んだだげだが、『日本書紀』って結構面白いねと感じた。
奈良の歴史はとんと疎い私だが、芝居と本や古典と美術と音楽を繋げて楽しむアホさ加減だけは負けないよと、自分をかばう。
集合体の問題で、今私は落ちこぼれてるのか知らんとほくそ笑む。
大阪歴博の講演や奈良の大和川の三講師の講義では古い資料に基づき大阪から肥料、奈良からは綿を大和川で運搬していたとお聞きしたことがあるが、それに寄れば、肥料と載っていた。
某氏寄れば、大阪からは味などの魚の肥料であり油粕ではないとおっしゃった。歴史には自信がないので、その場で自分の言葉を持たないのが残念である。
大阪伏見区呉服町で大文字屋 を始めた三田氏が干鯵(ほしか)や油粕の肥料商や柏原船の船仲間や地主として栄えたと伝えられているので、油粕も奈良に船で運搬されたことは否定できないであろう。
大阪歴博では肥料や米相場の話を聞く機会が多かったなと、懐かしむ。
ネットで調べてみるとほんの3,4年前、NHKの朝のドラマ(?)ではこれに近い話が取り上げられていたようだ。
私はNHKの朝ドラ(?)と大河ドラマを見たことがないので知らなかったのだが、大阪からはにしん(?)が大和川を伝って奈良に運ばれたという場面があったらしい。
奈良でも菜種油などをとっていたり、東大寺など独占権を持っており、闇で安価な油を売ると僧兵が火をつけたと言った資料が残っている。
奈良でも油粕は採れたに違いないが、戦国時代においては京都の大山崎の大山崎油座があまりにも有名であることも忘れてはならない。なので、ここでも油粕は大量に採れたと想像できる。
奈良は至る所に田畑があるちゅ高菜土地だが、私は奈良の油粕も多く採れたに違いないが、大阪からの肥料が運搬されていたことを考えると、奈良油粕高はどれくらいであったのかと想像するが、本日読んだ資料の趣旨からかけ離れている内容なので、歴史嫌いの私にはもうどうでもよくなってきた。
それより御託鵜を並べてないで、明日の映画に備え、体力温存のために眠るかあるいは太宰の小説の続きを読むか、はっきりしなさいと自分を叱りたい。
陽はまた登る。