写真は、奈良 氷室神社
『底本 柳田國男集 第二十七巻』柳田國男 より「猿回しの話」「絵馬と馬」など六項目 猿の舞は、元は朝廷の儀式→ 後に浄瑠璃
『底本 柳田國男集 第二十七巻』より
「猿回しの話」336-340
「絵馬と馬」341-343
「板絵沿革」344-349
「龍王と水の神」350-354
「片葉蘆考」355-361
「諸国の片葉の蘆」362-363
「七難の揃毛」364-365
「民族覚書」366-369
只今はçより
「河童駒引」49-110 を読んでいる途中
336-340
滝沢馬琴の『阿旬伝兵衛實實記』は奈河七五三助合作の浄瑠璃「近頃河原の達引」から引かれているという。
のちに歌舞伎でも上演され、松島屋さんが伝兵衛の味を見事に生かされている。
色々な役者で見たが、馴染みのあるところでは、片岡我當さんの「近頃河原の達引」は見事なまでにこなされていた。
本書の「猿回しの話」の中では、猿回しは後に、次のような演目が記され、面白いと記されている。
浄瑠璃のお俊傳兵衞(ママ)
猿芝居の春駒
狂言のウツボ猿
猿の舞は元々は神事であり、宮中(京都)では一月の三日に演じられていたという。
その後派生し、滋賀の出である猿きの本家本元の小野家の名を語り猿回しを全国で展開すると行った輩が多く現れたという。
上に書いたように、猿の舞は朝廷の儀式であった。
これは馬の息災を念ずるものであったためにだんだんと広がり、小野家から猿曳気を全国に広げた人たちがいるとも書かれている。
猿と馬とは関連性の強い動物であり、猿が馬を引いたという画も残っているという。
「絵馬と馬」341-343
絵馬には興味があるので、本を飛んだり講演を聞いたり、神社仏閣や博物館に行ったことがある。
絵馬の派生や本来の意味合いなどは、学者によって諸説唱えられているのであるが、
民俗学者
美術史学者
考古学者
各研究分野の各学者
他
によって、全く違った観点から説を唱えられているのが面白い。
柳田國男氏と某美術史家(忘れました)は多少類似点が認められるが、私の聞いた考古学者(名は伏せておきたい)は生贄の観点から問題視されていた。
どれが正しくどれが間違いと言ったことは、現在に生きる私たちにはわからない。
どれも正しいのであろうかもしれない。
私は、絵馬が多く飾られた絵馬堂は、昔の人たちにとって目をなごませる場所であったのは時事地であると考えている。
また祈願や願い、そう言った心を形に表す奉納するということも事実であったように感じる。
この語りは今も私たちの生活の一部に残り、合格祈願や無病息災などを絵馬に書き、納める方は後をたたない。
「絵馬と馬」では興味深いことが多く書かれていたが、各学者の研究分野の立場によって見解が大きく異なっていたということだけを記録にとどめたい。
「猿回しの話」と「絵馬と馬」以外にも六項目を読んだが、記録が長くなるので、ここで止めたい。
今は本書から「河童駒引」を読んでいる最中。
家に『底本 柳田國男集』全巻揃えているので、気が向いた時に読めるのは非常にありがたい。
『底本 柳田國男集』
筑摩書房
昭和四十五年八月 第一版
980円
『底本 柳田國男集 第二十七巻』柳田國男 より「猿回しの話」「絵馬と馬」など六項目 猿の舞は、元は朝廷の儀式→ 後に浄瑠璃
『底本 柳田國男集 第二十七巻』より
「猿回しの話」336-340
「絵馬と馬」341-343
「板絵沿革」344-349
「龍王と水の神」350-354
「片葉蘆考」355-361
「諸国の片葉の蘆」362-363
「七難の揃毛」364-365
「民族覚書」366-369
只今はçより
「河童駒引」49-110 を読んでいる途中
336-340
滝沢馬琴の『阿旬伝兵衛實實記』は奈河七五三助合作の浄瑠璃「近頃河原の達引」から引かれているという。
のちに歌舞伎でも上演され、松島屋さんが伝兵衛の味を見事に生かされている。
色々な役者で見たが、馴染みのあるところでは、片岡我當さんの「近頃河原の達引」は見事なまでにこなされていた。
本書の「猿回しの話」の中では、猿回しは後に、次のような演目が記され、面白いと記されている。
浄瑠璃のお俊傳兵衞(ママ)
猿芝居の春駒
狂言のウツボ猿
猿の舞は元々は神事であり、宮中(京都)では一月の三日に演じられていたという。
その後派生し、滋賀の出である猿きの本家本元の小野家の名を語り猿回しを全国で展開すると行った輩が多く現れたという。
上に書いたように、猿の舞は朝廷の儀式であった。
これは馬の息災を念ずるものであったためにだんだんと広がり、小野家から猿曳気を全国に広げた人たちがいるとも書かれている。
猿と馬とは関連性の強い動物であり、猿が馬を引いたという画も残っているという。
「絵馬と馬」341-343
絵馬には興味があるので、本を飛んだり講演を聞いたり、神社仏閣や博物館に行ったことがある。
絵馬の派生や本来の意味合いなどは、学者によって諸説唱えられているのであるが、
民俗学者
美術史学者
考古学者
各研究分野の各学者
他
によって、全く違った観点から説を唱えられているのが面白い。
柳田國男氏と某美術史家(忘れました)は多少類似点が認められるが、私の聞いた考古学者(名は伏せておきたい)は生贄の観点から問題視されていた。
どれが正しくどれが間違いと言ったことは、現在に生きる私たちにはわからない。
どれも正しいのであろうかもしれない。
私は、絵馬が多く飾られた絵馬堂は、昔の人たちにとって目をなごませる場所であったのは時事地であると考えている。
また祈願や願い、そう言った心を形に表す奉納するということも事実であったように感じる。
この語りは今も私たちの生活の一部に残り、合格祈願や無病息災などを絵馬に書き、納める方は後をたたない。
「絵馬と馬」では興味深いことが多く書かれていたが、各学者の研究分野の立場によって見解が大きく異なっていたということだけを記録にとどめたい。
「猿回しの話」と「絵馬と馬」以外にも六項目を読んだが、記録が長くなるので、ここで止めたい。
今は本書から「河童駒引」を読んでいる最中。
家に『底本 柳田國男集』全巻揃えているので、気が向いた時に読めるのは非常にありがたい。
『底本 柳田國男集』
筑摩書房
昭和四十五年八月 第一版
980円