写真は大阪 道頓堀付近
小学校高学年の頃の担任は女性教師のES先生でした。
この先生はご自分のお子たちの教育にも熱心な方で、テレビは布で覆い、押し入れにしまっていると申されていました。
ES先生は何事にもスパルタで、読書ノートをつけさせ、一週間に何冊も読ませて感想を求めました。
記入内容は、
題名
作者
出版社
出版年
頁数
値段
感想
この読書ノートは今でも影響し、上の項目を書くことが多いですが、現在では変形もしばしば見られます。
私は本好きで、また、負けず嫌いでしたので、読書感想ノートは2年間で相当数に上りました。
この先生、歩き方や食べ方も口を酸っぱく指導されていました。
足の歩く角度や手の振り方を教えていただきましたが、帰って意識してしまい、ペタペタとした歩き方が身についてしまいました。
また、食べ方は咀嚼の回数です。
固形物は愚か、牛乳までも、一口100回を要求され、我がクラスだけは大変な時間をかけて給食を食べていました。
六年生の時には私は放送部でしたので、週に2回ほどは放送室に逃げ込むことができたのは幸いでした。
ES先生は何事にも熱心で、五六粘性の2年間は我がクラスだけ「一日一膳運動」というノートをつけさせ毎日提出させました。
みんなはそのノートを「偽善ノート」と呼んでおりましたことは、先生ご本人の耳には入ってないと信じております。
毎日毎日、最低一つは良いと思われることを実行していたのですが、そう毎日善行ばかりを行なっていてはタネが尽きる日もございます。
私たち生徒はとってつけたように、
【今日はプールの前の脱ぎ散らかした運動靴を揃えました。】
とクラス全員が書いたことがございましたら、先生は苦笑なっておりました。
私たちは口々に、
「私たちが「一日一膳運動」をつけるために運動靴を揃える前に、プールに入る人たちが自分の靴を揃えるべきだ。また、そういう教育が必要なのではないか。」
という意見で一致しておりました。
「一日一膳運動」の記入を毎日求められたES先生、ある日他の女性教師と信号や歩道のない道路を歩いて渡られるのを、多くのクラスの生徒が見てしまいました。
京都の真ん中の小学校の近くでは、歩道までは少し距離のある、車の通行が大変多い道路が、近くに多くあるのです。
それ以来、ES先生は生徒たちには適当にあしらわれることとなったのですが、ご本人は気づくことなく、相変わらずのスパルタ気質を維持なさっておられました。
私は京都の真ん中の小学校でしたせいでしょうか、しっかりとした意見を持ち、述べるが多かったです。
なので全国的に言われている「京都人云々は…」といった内容は、当てはまらない場合があります。
しかし、気遣いといったことも、小学生なりにございます。
ES先生は生徒たちの多大な気遣いに気づくことなく、ご自分の熱意に酔いしれておられ教壇にお立ちになられていました。
これぞクラスの生徒全員の善行だと、私たち生徒は口々に申していたのを覚えております。
♩
道頓堀を歩き、近頃の外国人の方の少なさに驚いています。
しかし先日は中国人の方の話しかけられることが多かったせいで、お芝居までの待ち時間を楽しく過ごすことができました。
開演までに時間が相当ございましたので時間に余裕があり、精神的にゆとりがあっただけなのですが、シャッターを押してあげたり、道や店などを教えてあげたり、近くまで連れて行ってあげたりと言った戯れを自分でも楽しんでおりました。
段差のある道では、車椅子の移動も微力ながらお手伝いさせていただきました。
そしてふと思い出したのは、小学校のことに担任を持っていただいたES先生のことです。
「一日一膳運動」のノートに書くに値しないこの日のことなども小学生の頃には事細かにつけてたのですが、今になって思えば、まんざら悪い記録ノートでもなかったような気が致します。
そして思うのです。今は、ES先生のように生徒を指導しようとする教師が必要なのではないかと。
一例ですが、修学旅行生が道を広く占領し、通行の妨げになっていても注意しない教師の多さに閉口します。
今や、そんな時代なのかもしれませんが、ES先生に教えを受けた私は、ES先生に懐かしさと親しみを覚える昨今です。
見ていただきありがとうございます。
小学校高学年の頃の担任は女性教師のES先生でした。
この先生はご自分のお子たちの教育にも熱心な方で、テレビは布で覆い、押し入れにしまっていると申されていました。
ES先生は何事にもスパルタで、読書ノートをつけさせ、一週間に何冊も読ませて感想を求めました。
記入内容は、
題名
作者
出版社
出版年
頁数
値段
感想
この読書ノートは今でも影響し、上の項目を書くことが多いですが、現在では変形もしばしば見られます。
私は本好きで、また、負けず嫌いでしたので、読書感想ノートは2年間で相当数に上りました。
この先生、歩き方や食べ方も口を酸っぱく指導されていました。
足の歩く角度や手の振り方を教えていただきましたが、帰って意識してしまい、ペタペタとした歩き方が身についてしまいました。
また、食べ方は咀嚼の回数です。
固形物は愚か、牛乳までも、一口100回を要求され、我がクラスだけは大変な時間をかけて給食を食べていました。
六年生の時には私は放送部でしたので、週に2回ほどは放送室に逃げ込むことができたのは幸いでした。
ES先生は何事にも熱心で、五六粘性の2年間は我がクラスだけ「一日一膳運動」というノートをつけさせ毎日提出させました。
みんなはそのノートを「偽善ノート」と呼んでおりましたことは、先生ご本人の耳には入ってないと信じております。
毎日毎日、最低一つは良いと思われることを実行していたのですが、そう毎日善行ばかりを行なっていてはタネが尽きる日もございます。
私たち生徒はとってつけたように、
【今日はプールの前の脱ぎ散らかした運動靴を揃えました。】
とクラス全員が書いたことがございましたら、先生は苦笑なっておりました。
私たちは口々に、
「私たちが「一日一膳運動」をつけるために運動靴を揃える前に、プールに入る人たちが自分の靴を揃えるべきだ。また、そういう教育が必要なのではないか。」
という意見で一致しておりました。
「一日一膳運動」の記入を毎日求められたES先生、ある日他の女性教師と信号や歩道のない道路を歩いて渡られるのを、多くのクラスの生徒が見てしまいました。
京都の真ん中の小学校の近くでは、歩道までは少し距離のある、車の通行が大変多い道路が、近くに多くあるのです。
それ以来、ES先生は生徒たちには適当にあしらわれることとなったのですが、ご本人は気づくことなく、相変わらずのスパルタ気質を維持なさっておられました。
私は京都の真ん中の小学校でしたせいでしょうか、しっかりとした意見を持ち、述べるが多かったです。
なので全国的に言われている「京都人云々は…」といった内容は、当てはまらない場合があります。
しかし、気遣いといったことも、小学生なりにございます。
ES先生は生徒たちの多大な気遣いに気づくことなく、ご自分の熱意に酔いしれておられ教壇にお立ちになられていました。
これぞクラスの生徒全員の善行だと、私たち生徒は口々に申していたのを覚えております。
♩
道頓堀を歩き、近頃の外国人の方の少なさに驚いています。
しかし先日は中国人の方の話しかけられることが多かったせいで、お芝居までの待ち時間を楽しく過ごすことができました。
開演までに時間が相当ございましたので時間に余裕があり、精神的にゆとりがあっただけなのですが、シャッターを押してあげたり、道や店などを教えてあげたり、近くまで連れて行ってあげたりと言った戯れを自分でも楽しんでおりました。
段差のある道では、車椅子の移動も微力ながらお手伝いさせていただきました。
そしてふと思い出したのは、小学校のことに担任を持っていただいたES先生のことです。
「一日一膳運動」のノートに書くに値しないこの日のことなども小学生の頃には事細かにつけてたのですが、今になって思えば、まんざら悪い記録ノートでもなかったような気が致します。
そして思うのです。今は、ES先生のように生徒を指導しようとする教師が必要なのではないかと。
一例ですが、修学旅行生が道を広く占領し、通行の妨げになっていても注意しない教師の多さに閉口します。
今や、そんな時代なのかもしれませんが、ES先生に教えを受けた私は、ES先生に懐かしさと親しみを覚える昨今です。
見ていただきありがとうございます。