『元禄忠臣蔵 御浜御殿綱豊卿』は、なぜ『望月』なのかを探るために。 1
御浜御殿綱豊卿
御浜御殿は甲府徳川家の下屋敷で、あるじは後に六代将軍家宣となる徳川綱豊。綱豊の寵愛を受ける中臈お喜世に、今日のお浜遊びを隙見したいと懇願しているのは、義理の兄の赤穂浪士富森助右衛門でした。実は今日の客の中に吉良上野介がいるのです。とりあえず祐筆江島のはからいで許されますが、さらに何と綱豊自らが助右衛門に対面します。綱豊は浪士たちに仇討ちをさせたい心情を学問の師新井白石に打ち明けていましたが、浅野家再興の話が持ち上がり、再興と仇討ちは両立できないと困惑していたところでした。綱豊と助右衛門のあいだに、仇討ちを巡って激しい論議が展開します。そしてその夜更け。上野介が余興の能の装束を着けて舞台へ上がると思い、槍で襲い掛かった助右衛門。しかしそれは綱豊卿その人でした。綱豊は「身のほど知らずの大たわけ、それは天下義人の復讐とは云われぬ、道理が分からぬか」と助右衛門を打ち据えるのでした。
望月(もちづき)
【分類】四・五番目物 (現在物)
【作者】不詳
【登場人物】 面 装束
シテ(前)直面 段熨斗目、素袍上下
シテ(後)直面 赤頭、段熨斗目、厚板唐織壺織、白大口、腰帯、白鉢巻
ツレ 安田荘司の妻 曲見 鬘、箔、唐織着流
子方 花若(安田荘司の子)厚板、白大口、腰帯
ワキ 望月秋長 厚板、掛素袍、白大口、腰帯
間狂言 望月秋長の従者 縞熨斗目、狂言裃
安田荘司友治(やすだのしょうじ・ともはる)とは、(荘司(荘園の管理者)につく安田友春)
従兄弟の望月秋長と荘園における争いで口論となり、望月秋長に殺害された人物。
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