写真は大阪 堺氏の黄梅庵
この時もここではなく近くに茶席が設けられていたので家族とお茶を楽しんだ。
昨日のこと、またもや
「白鴎は◯◯だ。」
という穿った言葉を聞いた。
私は苦笑し、
「好き嫌いがございますものね。」
と、ちゃをにごす。
このブログでも何度も取り上げているが、関東の方々や京都の方々は、白鴎の芝居のうまさを讃える方に出会うことが多い。
逆に、◯◯では真逆なのが、不思議だ。
これまでに何度となく書いたが、私は高校生の頃南座で見た歌舞伎は、今の歌舞伎と比較できないくらいに言葉の言い回しが聞き取れないものであった。
もちろん、私が若かったこと、歌舞伎に慣れてなかったことは大きく一因するが、それだけでもなさそうだ。
昔の映像を見てみると、衣装や化粧は地味で、静かな演じ方。無表情だが奥行きが感じられる役者の多さに驚く。
また言葉そのものも今の様に噛み砕いたものではなく、抑揚も芝居らしいものであった。
高校生なので三階席から見ていた。
三階から見ると、大道具の天井飾りの部分が役者さんたちの顔の半分の邪魔となり隠れて見えなかった。
今は天井を高く改善され、三階席からも容易に役者の顔を見ることができる。
しかし、昔は、役者さんも腰を落とす割合が大きく、工夫をしなければならなかった。
怪我の功名。
役者さんたちの形や形式美は、絵に描いたように美しかった。
またライトや音響も、今のように艶やかではなかった。
その素朴さは役者さんが芝居を大きく描き演じる必要性にかられていた。
私は高校生の頃は、芝居四倍どころか芝居八倍くらいの勢いで、演じる必要があったといえよう。
いわゆる、良い意味での、臭い芝居。これをこなれるように演じるためには、喜劇と同様、相当の力量がいると感じる。
今は舞台も華やかさを増し、マイクも上等になり、役者さんたちの動きの誇張は省略化の方向を歩んだ。
より自然な動きとセルフの言い回しが好まれる傾向がある。
しかしながら会場でたの芝居好きのお客さんとお話ししていると、私と同様、ある意味私が知っていた古典歌舞伎の面白さは息をひそめると感じる人の多さに気づく。
その面白さを頑なに守っておられる(おられた)のが、故芝翫丈と、現白鴎(元染五郎→幸四郎)と、藤十郎丈、故歌右衛門さんや故雀右衛門さんたちであった。
四十年前の歌舞伎の面白みが味わえる数少ない役者さんのお一人が、現白鴎さんなのだ。
(仁左衛門丈においては昔からああいった形でああいった素晴らしい演じ方をなさっていたので、白鴎丈たちとはまた違った演技の面白みとうまさを感じていた。)
今、四十年程前の歌舞伎の演じ方で興行すれば、観客は減るのであろう。
しかし、本来の芝居らしい芝居を見てみたい観客も多いのも侮れない。
時代とともに変化を歩む芝居ではあるが、衛星劇場などで話す歌舞伎役者の中で基本が曖昧なのに流動性やデフォルメを再三強調する力不足の役者は如何なものかとも感じる昨今である。
私が知る顔見世以外の四十年程前の南座はがら空きであった。
あまりにも観客が少ないので、
〔ジーパンでお越しください。〕
をうたい文句に掲げた時代で、高校生の私でも一人で入りやすかった。
映画が600円に対して、歌舞伎の三頭席(高校生の頃は、いつも三等席でした)が700円、顔見世が800円という嬉しいお代金。
おまけに、初日は一回の入場料で昼夜楽しめた。(とは書いてはいるが、高校生だったので、夜の部はパスしていた)
その頃の私は勉強不足で、歌舞伎は難しかった。
しかし、釘付けになったのが、孝玉コンビとと染五郎(現 白鴎)
当時の染五郎の見栄は品よく且つ迫力があり、歌舞伎知らずの私さえ、彼らが出てくるのを心待ちにした。
また、現藤十郎丈の御父上であった鴈治郎さんはことに印象深かった。小さな体。だが、光がさし大きく見えた。
女形で肩を落とし、後ろみきに座られただけで、高校生が身震いするほどの迫真の演技であった。
十七代目の勘三郎さんの奴踊りには、十代の私でさえ、息つく暇もなかった。
あの頃の芝居が見たい。あの頃の芝居が懐かしい。
そう願うが、今の舞台は、わかりやすい言葉と表現と抑揚に置き換えられている。
そこで現白鴎丈の話と戻ることになる。
私が若かりし頃の歌舞伎の香りが残るのは、白鴎丈。
繰り返し申し上げてているが、彼は着実に、歌舞伎を演じてくださっている数少ない役者さんの一人なのだ。
彼の歌舞伎や現代劇等芝居に対する思い入れは計り知れないものがある。
こと歌舞伎に対しては、思い入れや志が深すぎて、時々他の役者を緊張させるといった舞台づくりになることもある。
それほどまでに真っ向から歌舞伎と格闘しておられる真面目な役者さんだ。
誤解が一人歩きしている。
評論家の◯◯やマスコミもその一因。
それをまともに受けて、上手い役者を下手だと臭いだのというのはもっての他である。
染五郎時代の白鴎丈は、芝居四倍、役者声一番 と謳われた役者の一人である。
「白鴎は◯◯だ。」
という穿った言葉を広めている諸君、慎みたまえ!!と、私は声を大にしたい。
特に南座(ただいま改装中)に行くと、ご高齢のご婦人が
「染五郎(現 白鴎丈)さんが一番、美しかったわ。」
といった大絶賛の声を、繰り返し何度も聞く機会に恵まれた。
最近見始めた今の歌舞伎に慣れている方から見れば、白鴎丈の芝居は臭いとか、難しいとか、それが高じて下手だとかいう人がいらっしゃることは大変残念。
そういう方はそのよう事を言う前に、ぜひ昔の映像を見る機会を設けていただきたい。
歌舞伎も時代とともに流動するが、軸となる部分は変わりがない。
上手い役者を下手という前に、ぜひとも、歌舞伎の流れをおおむね汲んでいただきければ、理解していただけるように思う。
そういう私も歌舞伎を四十年しか知らない。ほんの一こま。
できることなら、江戸時代まで遡って芝居を楽しみたいといった衝動にかられる、今日この頃である。
拙ブログにお付き合いくださいましてありがとうございます。
心より御礼申し上げます。
この時もここではなく近くに茶席が設けられていたので家族とお茶を楽しんだ。
昨日のこと、またもや
「白鴎は◯◯だ。」
という穿った言葉を聞いた。
私は苦笑し、
「好き嫌いがございますものね。」
と、ちゃをにごす。
このブログでも何度も取り上げているが、関東の方々や京都の方々は、白鴎の芝居のうまさを讃える方に出会うことが多い。
逆に、◯◯では真逆なのが、不思議だ。
これまでに何度となく書いたが、私は高校生の頃南座で見た歌舞伎は、今の歌舞伎と比較できないくらいに言葉の言い回しが聞き取れないものであった。
もちろん、私が若かったこと、歌舞伎に慣れてなかったことは大きく一因するが、それだけでもなさそうだ。
昔の映像を見てみると、衣装や化粧は地味で、静かな演じ方。無表情だが奥行きが感じられる役者の多さに驚く。
また言葉そのものも今の様に噛み砕いたものではなく、抑揚も芝居らしいものであった。
高校生なので三階席から見ていた。
三階から見ると、大道具の天井飾りの部分が役者さんたちの顔の半分の邪魔となり隠れて見えなかった。
今は天井を高く改善され、三階席からも容易に役者の顔を見ることができる。
しかし、昔は、役者さんも腰を落とす割合が大きく、工夫をしなければならなかった。
怪我の功名。
役者さんたちの形や形式美は、絵に描いたように美しかった。
またライトや音響も、今のように艶やかではなかった。
その素朴さは役者さんが芝居を大きく描き演じる必要性にかられていた。
私は高校生の頃は、芝居四倍どころか芝居八倍くらいの勢いで、演じる必要があったといえよう。
いわゆる、良い意味での、臭い芝居。これをこなれるように演じるためには、喜劇と同様、相当の力量がいると感じる。
今は舞台も華やかさを増し、マイクも上等になり、役者さんたちの動きの誇張は省略化の方向を歩んだ。
より自然な動きとセルフの言い回しが好まれる傾向がある。
しかしながら会場でたの芝居好きのお客さんとお話ししていると、私と同様、ある意味私が知っていた古典歌舞伎の面白さは息をひそめると感じる人の多さに気づく。
その面白さを頑なに守っておられる(おられた)のが、故芝翫丈と、現白鴎(元染五郎→幸四郎)と、藤十郎丈、故歌右衛門さんや故雀右衛門さんたちであった。
四十年前の歌舞伎の面白みが味わえる数少ない役者さんのお一人が、現白鴎さんなのだ。
(仁左衛門丈においては昔からああいった形でああいった素晴らしい演じ方をなさっていたので、白鴎丈たちとはまた違った演技の面白みとうまさを感じていた。)
今、四十年程前の歌舞伎の演じ方で興行すれば、観客は減るのであろう。
しかし、本来の芝居らしい芝居を見てみたい観客も多いのも侮れない。
時代とともに変化を歩む芝居ではあるが、衛星劇場などで話す歌舞伎役者の中で基本が曖昧なのに流動性やデフォルメを再三強調する力不足の役者は如何なものかとも感じる昨今である。
私が知る顔見世以外の四十年程前の南座はがら空きであった。
あまりにも観客が少ないので、
〔ジーパンでお越しください。〕
をうたい文句に掲げた時代で、高校生の私でも一人で入りやすかった。
映画が600円に対して、歌舞伎の三頭席(高校生の頃は、いつも三等席でした)が700円、顔見世が800円という嬉しいお代金。
おまけに、初日は一回の入場料で昼夜楽しめた。(とは書いてはいるが、高校生だったので、夜の部はパスしていた)
その頃の私は勉強不足で、歌舞伎は難しかった。
しかし、釘付けになったのが、孝玉コンビとと染五郎(現 白鴎)
当時の染五郎の見栄は品よく且つ迫力があり、歌舞伎知らずの私さえ、彼らが出てくるのを心待ちにした。
また、現藤十郎丈の御父上であった鴈治郎さんはことに印象深かった。小さな体。だが、光がさし大きく見えた。
女形で肩を落とし、後ろみきに座られただけで、高校生が身震いするほどの迫真の演技であった。
十七代目の勘三郎さんの奴踊りには、十代の私でさえ、息つく暇もなかった。
あの頃の芝居が見たい。あの頃の芝居が懐かしい。
そう願うが、今の舞台は、わかりやすい言葉と表現と抑揚に置き換えられている。
そこで現白鴎丈の話と戻ることになる。
私が若かりし頃の歌舞伎の香りが残るのは、白鴎丈。
繰り返し申し上げてているが、彼は着実に、歌舞伎を演じてくださっている数少ない役者さんの一人なのだ。
彼の歌舞伎や現代劇等芝居に対する思い入れは計り知れないものがある。
こと歌舞伎に対しては、思い入れや志が深すぎて、時々他の役者を緊張させるといった舞台づくりになることもある。
それほどまでに真っ向から歌舞伎と格闘しておられる真面目な役者さんだ。
誤解が一人歩きしている。
評論家の◯◯やマスコミもその一因。
それをまともに受けて、上手い役者を下手だと臭いだのというのはもっての他である。
染五郎時代の白鴎丈は、芝居四倍、役者声一番 と謳われた役者の一人である。
「白鴎は◯◯だ。」
という穿った言葉を広めている諸君、慎みたまえ!!と、私は声を大にしたい。
特に南座(ただいま改装中)に行くと、ご高齢のご婦人が
「染五郎(現 白鴎丈)さんが一番、美しかったわ。」
といった大絶賛の声を、繰り返し何度も聞く機会に恵まれた。
最近見始めた今の歌舞伎に慣れている方から見れば、白鴎丈の芝居は臭いとか、難しいとか、それが高じて下手だとかいう人がいらっしゃることは大変残念。
そういう方はそのよう事を言う前に、ぜひ昔の映像を見る機会を設けていただきたい。
歌舞伎も時代とともに流動するが、軸となる部分は変わりがない。
上手い役者を下手という前に、ぜひとも、歌舞伎の流れをおおむね汲んでいただきければ、理解していただけるように思う。
そういう私も歌舞伎を四十年しか知らない。ほんの一こま。
できることなら、江戸時代まで遡って芝居を楽しみたいといった衝動にかられる、今日この頃である。
拙ブログにお付き合いくださいましてありがとうございます。
心より御礼申し上げます。