(写真は 「影絵」上演中の様子を、写させてくださったもの。 山西省)
中国最古の仮面劇 儺戯(ノウシイ) 映画『単騎、千里を走る。』を見て
昨年、黄龍の近くでのこと。
予てから見たかった 京劇よりも古いと言われている「川劇 せんげき」を見ることができ、感無量だった。
それよりも古い、いや、中国最古の仮面劇と言われている「儺戯(ノウシイ)」を、映画『単騎、千里を走る。』で少し見ることができた。
農村の若者が、祭りの日には花形役者になる。また、厄払いという意味もあるらしい。
こういった伝統芸能は、時代こそ異なるが、日本にも多くの形で見られ、興味深い。
数年前に雲南省を訪れた際に、歌垣が大変美しいと感じた。
しかし、「儺戯(ノウシイ)」は見る機会に恵まれなかった。
一度きりしか行ったことがない雲南省は「丸い板に木彫り (文様彫り)」の弟子入りを兼ねて、もう一度ゆっくり訪れたいと夢見ているが、その折はこういった「儺戯(ノウシイ)」も見ることができればいいなと、さらに夢は膨らむ。
夢は一つでも多くていいだろうと、ほくそ笑む…。
人民画報 ●民俗と祭り● 中国最古の仮面劇 儺戯(ノウシイ) 文 写真 栗運成
慶応大学 中国江西の儺舞・儺戯 III 江西婺源県秋口郷長径村の儺舞・儺戯 (1991年9月 田仲一成 撮影)
人民画報 ●民俗と祭り● 中国最古の仮面劇 儺戯(ノウシイ) 文 栗運成より
●民俗と祭り●
中国最古の仮面劇
儺戯(ノウシイ)
文 栗運成
素朴な農村の住民が、今日は花形役者になる。
儺舞は古代中国の祭祀儀式の中で踊られた仮面舞踊の一種で、そこから発展して演劇の形態をもつようになったものが儺戯である。儺戯では主要な役を演じる俳優は、木製の仮面を着ける。江西、湖南、湖北、貴州、安徽、山東、河北などに広く伝わっているが、黄河流域の儺戯には特に歴史文化の特徴が濃厚である。
「抓黄鬼」は河北省邯鄲市武安地方に伝わる民間芸能で、武安戯とも呼ばれている。儺戯は本来祭儀のときに行われる巫術の一種で、民間では災厄や魔物を祓うまじないとして行われてきた。伝説では悪魔を追い払うとき人々は「儺儺(ノウノウ)」という掛け声を発したと言われており、ここから「儺」或いは「儺祭」、「儺儀」と呼ばれるようになったのである。
「儺儀」は中国の殷商時代の占いに関する書物にも記載がある。周の時代に盛んになり、百人余りの祭儀から終には千人規模の大掛かりなものに発展していった。宮廷で行われた大規模なものの他、民間でも行われ、こちらは「郷儺」と呼ばれた。「儺儀」には次第に娯楽の要素が取り入れられるようになり、戯曲的発展を遂げたものが儺戯になった。
儺戯では主な役は木製の仮面を着ける。これは劇中人物の醜悪さを強調するためである。
賑やかなお囃子に導かれる出演者たちの行進
邯鄲市の儺戯「抓黄鬼」は旧暦の1月15日、元宵節の期間に武安の固義村の人々によって演じられる。この日、村全体が舞台になり大いに賑わうのだ。祭りが始まると、戦のように騎馬の先駆けが村の通りを駆けて偵察し、その後ろを100人ほどの隊列が続く。旗手とチャルメラの楽隊を先頭に、仮面を着け、芝居の鎧を着た武将たちが三眼矛(刃に開けた三つの穴に金属の輪を通した矛)を打ち鳴らしながら村を練り歩く。そして、夜になると、鬼役が放たれ、昼夜を通しての鬼の捕り物が始まる。黄鬼は代々決まった家のものが演じることになっており、村人は一睡もせず、各々棍棒や槍を持って翌朝まで黄鬼を追い回す。午前、御用となった黄鬼は鎖に繋がれ、村を引き回された後に閻魔大王の前に突き出され、午後に処刑されてしまうのだ。
黄鬼が象徴するものは親不孝、妻や目下の者を粗末にするなどの悪行である。実際に鬼を追い、処刑することで、これらの不品行を戒めたのだ。
元宵になると村では鬼の捕り物をメインに、仮面劇、地方劇、芝居のコンテスト、獅子舞、覇王鞭(彩色の鞭状の棒を持って踊る民間舞踊)、武術、山車、竹馬などの出し物が演じられる。演者は総勢600名以上とロバ50頭余り。この盛大な行事は天候の安定、五穀豊穣、家庭円満、天下安寧などの一般庶民の伝統的願望を表すものなのである。
中国最古の仮面劇 儺戯(ノウシイ) 映画『単騎、千里を走る。』を見て
昨年、黄龍の近くでのこと。
予てから見たかった 京劇よりも古いと言われている「川劇 せんげき」を見ることができ、感無量だった。
それよりも古い、いや、中国最古の仮面劇と言われている「儺戯(ノウシイ)」を、映画『単騎、千里を走る。』で少し見ることができた。
農村の若者が、祭りの日には花形役者になる。また、厄払いという意味もあるらしい。
こういった伝統芸能は、時代こそ異なるが、日本にも多くの形で見られ、興味深い。
数年前に雲南省を訪れた際に、歌垣が大変美しいと感じた。
しかし、「儺戯(ノウシイ)」は見る機会に恵まれなかった。
一度きりしか行ったことがない雲南省は「丸い板に木彫り (文様彫り)」の弟子入りを兼ねて、もう一度ゆっくり訪れたいと夢見ているが、その折はこういった「儺戯(ノウシイ)」も見ることができればいいなと、さらに夢は膨らむ。
夢は一つでも多くていいだろうと、ほくそ笑む…。
人民画報 ●民俗と祭り● 中国最古の仮面劇 儺戯(ノウシイ) 文 写真 栗運成
慶応大学 中国江西の儺舞・儺戯 III 江西婺源県秋口郷長径村の儺舞・儺戯 (1991年9月 田仲一成 撮影)
人民画報 ●民俗と祭り● 中国最古の仮面劇 儺戯(ノウシイ) 文 栗運成より
●民俗と祭り●
中国最古の仮面劇
儺戯(ノウシイ)
文 栗運成
素朴な農村の住民が、今日は花形役者になる。
儺舞は古代中国の祭祀儀式の中で踊られた仮面舞踊の一種で、そこから発展して演劇の形態をもつようになったものが儺戯である。儺戯では主要な役を演じる俳優は、木製の仮面を着ける。江西、湖南、湖北、貴州、安徽、山東、河北などに広く伝わっているが、黄河流域の儺戯には特に歴史文化の特徴が濃厚である。
「抓黄鬼」は河北省邯鄲市武安地方に伝わる民間芸能で、武安戯とも呼ばれている。儺戯は本来祭儀のときに行われる巫術の一種で、民間では災厄や魔物を祓うまじないとして行われてきた。伝説では悪魔を追い払うとき人々は「儺儺(ノウノウ)」という掛け声を発したと言われており、ここから「儺」或いは「儺祭」、「儺儀」と呼ばれるようになったのである。
「儺儀」は中国の殷商時代の占いに関する書物にも記載がある。周の時代に盛んになり、百人余りの祭儀から終には千人規模の大掛かりなものに発展していった。宮廷で行われた大規模なものの他、民間でも行われ、こちらは「郷儺」と呼ばれた。「儺儀」には次第に娯楽の要素が取り入れられるようになり、戯曲的発展を遂げたものが儺戯になった。
儺戯では主な役は木製の仮面を着ける。これは劇中人物の醜悪さを強調するためである。
賑やかなお囃子に導かれる出演者たちの行進
邯鄲市の儺戯「抓黄鬼」は旧暦の1月15日、元宵節の期間に武安の固義村の人々によって演じられる。この日、村全体が舞台になり大いに賑わうのだ。祭りが始まると、戦のように騎馬の先駆けが村の通りを駆けて偵察し、その後ろを100人ほどの隊列が続く。旗手とチャルメラの楽隊を先頭に、仮面を着け、芝居の鎧を着た武将たちが三眼矛(刃に開けた三つの穴に金属の輪を通した矛)を打ち鳴らしながら村を練り歩く。そして、夜になると、鬼役が放たれ、昼夜を通しての鬼の捕り物が始まる。黄鬼は代々決まった家のものが演じることになっており、村人は一睡もせず、各々棍棒や槍を持って翌朝まで黄鬼を追い回す。午前、御用となった黄鬼は鎖に繋がれ、村を引き回された後に閻魔大王の前に突き出され、午後に処刑されてしまうのだ。
黄鬼が象徴するものは親不孝、妻や目下の者を粗末にするなどの悪行である。実際に鬼を追い、処刑することで、これらの不品行を戒めたのだ。
元宵になると村では鬼の捕り物をメインに、仮面劇、地方劇、芝居のコンテスト、獅子舞、覇王鞭(彩色の鞭状の棒を持って踊る民間舞踊)、武術、山車、竹馬などの出し物が演じられる。演者は総勢600名以上とロバ50頭余り。この盛大な行事は天候の安定、五穀豊穣、家庭円満、天下安寧などの一般庶民の伝統的願望を表すものなのである。