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Channel: 乱鳥の書きなぐり
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坂東三津五郎さん死去      2015年2月21日

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 認めたくないので、記録をするべきか否か悩んでいたのですが…

 坂東三津五郎さんが亡くなられました…

 中村芝翫さんが亡くなられ、好きな役者さんたちが多く亡くなられました。

 お芝居を見てウン十年

 ここ数年が身にこたえます。


 新春歌舞伎及びえべっさんの十日、かってホイカゴに乗られた三津五郎さん

 笑顔で握手をしてくださいました。

 三津五郎さんの芝居や舞踊や言い回しが思い出されます。


 三津五郎さんのご冥福をお祈りいたします。







坂東三津五郎さん死去:粋な芸風、隙も狂いもなく
毎日新聞 2015年02月22日 21時23分(最終更新 02月23日 18時59分)


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 歌舞伎俳優で日本舞踊の坂東流家元の坂東三津五郎さんが21日、亡くなった。

 「神様はどうして歌舞伎界から大切な人を奪っていかれるのだろうね」とは三津五郎さんが、中村勘三郎さん(2012年死去)、市川団十郎さん(13年死去)の訃報の後に、2人の早すぎる最期を嘆いての言葉である。その嘆きを、今はそのままどこかに返したい。

 端正で品格があり、隙(すき)も狂いもない粋な芸風、芸への真摯(しんし)さ、全体への目配り。歌舞伎界にとってかけがえのない存在であった。しかも59歳の若さだ。

 父の九代目三津五郎と共に尾上菊五郎劇団に在籍し、先輩の舞台を間近にみて研さんを続けた。

 盟友の勘三郎さんと踊った「棒しばり」や「三社祭」の息と動きの素晴らしさは後世までの語り草となろう。さまざまな役柄に挑み、ついには柄にはないと思われていた「勧進帳」の弁慶や「金閣寺」の松永大膳も自分のものとした。

 歌舞伎では最後の舞台となった昨年8月の「たぬき」の金兵衛は死んだはずがよみがえる役。病から復帰した自身の心境になぞらえ、「また違った金兵衛になるのでは」と語ったところに、俳優のすごみを見た。

 曽祖父は「踊りの神様」とまでたたえられた七代目三津五郎。踊りが義務で、若いころは「レシピを確認しながら、踊るような感覚」であったという。そこを脱し、初めて楽しさを覚えたのが、41歳での「奴(やっこ)道成寺」。「ようやく腕が身に着き、料理なら一匹のタイを前にどう調理しようかと考えられるようになりました」と語っていた。舞踊の家の継承者としての強い自負を持ち、「龍虎」「独楽売(こまうり)」「山帰り」など上演がまれな舞踊の復活にも取り組んだ。

 城好きとして知られ、著作も持つ。文章力に優れ、本紙でもコラムを執筆してもらった。句作にも親しんでいたが、すべて芸のためであったのだろう。その結実が、松尾芭蕉役をつとめ、12年度の毎日芸術賞受賞対象となった井上ひさし作「芭蕉通夜舟」である。

 円熟の芸をもう見ることがかなわないのが口惜しく悲しい。【小玉祥子】





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