以前から何度か紹介させていただいておりますように、春日大社参道には多くの燈籠がある。
春日大社の燈籠は藤や鹿の様に『春日権現絵巻』に数多く取り上げあれている。
一の鳥居をくぐり参道を歩く途中、鹿の戯れる燈籠に心惹かれる。
今回は【講丸日】と彫られた二つの燈籠に目が向いた。
【講丸日】
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近づいてみると、扇の中に日の丸
あはは
「あっぱれじゃ」と、内心歌舞伎役者の福助さんの口調で言ってみる。
ネットで調べてみると確かに『日丸講』がヒットした。
それにしても
日丸講
日本には色々な名の ◯◯講があるものだなぁ〜〜☆
講とは
ウィキペディアより ▼
法会の一種。経典を講じる法会。講会(こうえ)。
転じて、民俗宗教における宗教行事を行なう結社のこと。またその行事・会合のこと。講社(こうしゃ)。この項目で主に記述。
さらに転じて、相互扶助的な団体や会合のこと。
ウィキペディアより ▼
講(こう)とは、同一の信仰を持つ人々による結社である。ただし、無尽講など相互扶助団体の名称に転用されるなど、「講」という名称で呼ばれる対象は多岐に渡っている。
元々の講は「講義」「講読」の「講」であり、平安時代に仏典を講読・研究する僧の集団を指すものであった。後に仏典の講読を中心とする仏事(講会)を指すようになり、さらに各種の仏教儀式一般に講という名称をつけるようにもなった(報恩講など)。
この「講」が中世ごろから民間に浸透する過程で、様々な信仰集団に「講」という名称がつけられるようになった。信仰集団としての講には、地域社会の中から自然発生的に生まれたものと、外部からの導入によるものとがある。前者の講は、氏神・産土といった地域の神を信仰する氏子によって、その神祠の維持のために運営されるものである。社格の高い神社の講では、「村」の範囲を超えて広い範囲に構成員を持つものもある。
「講」の組織が強化されるのが、戦国時代のことである。講元は国人や地侍等があたり、また講元自身が地侍化した。浄土真宗の「講」の組織によって加賀一向一揆などが行われた。「講」という組織上、半民主的な政治が行われた。
講は講社ともいい、講の構成員を講員という。講の運営にあたっては講元(こうもと)、副講元、世話人などの役員を置き、講員の中から選任され、講の信仰する寺社から委嘱されるのが通常である。
外部からの導入による講は、当初は山岳信仰に関するものであった。立山などの修験者が霊山への登山を勧めて全国を廻り、各地に参拝講が作られた。それにならって各地の神社・寺院へ参拝するための数多くの講も作られるようになった。これらの参拝講では、講の全員が参拝に行く「総参り」もあったが、多くは講の中から数人を選び、代表して参拝する「代参講」が行われていた。
相互扶助団体(頼母子講・無尽講)への転用は、この代参講から派生したものである。すなわち、皆で金を出しあって、参拝に行くのではなくその金をくじや入札によって構成員に融通するというものである。
ウィキペディアを拝見していると、「無礼講」も載っていた。うふふえへへおほほ