2014年
春の大神祭(はるのおおみわさい)
4月10日(木) 午前10時 春の大神祭後宴祭 『春の大神祭後宴御宴能』の前に
今年も祭『春の大神祭後宴御宴能』の前に、煎茶道二條流のお茶を楽しませて頂きました。
今年のお茶はとろとろで、大変甘く格別のお味でございました。
とろりとした味わいは口の中に広がり、まったりとしていて、ゆっくりゆっくりと味合わせて頂きました。
今年のお茶のあまりの美味しさに、思わず
「美味しい〜〜〜」
と、感動の声をあげてしまいました。
いつもとてもお茶でございます。
そして今年のとろりまったりのお味は格別美味しいお茶でございました。
なので、今年は二煎目を頂く前にお菓子を頂く事にためらいを感じました。
一煎目はこなれた歌舞伎役者の和事のようなお味でした。
二煎目のお茶は一煎目とは違い、歌舞伎役者が花道で見得を切るような味わいでした。
芝居でしか表現ができない自分が歯がゆうございます。
お茶とは奥行きの深いものだなぁと感じました。
煎茶道二條流の皆様、関係者の皆様、誠にありがとうございました。
心より御礼申し上げます。
二條流 徳良庵石原雅苑
煎茶道二條流(センチヤドウニジヨウリユウ)
〒604−8236
京都市中京区錦小路通堀川 二條流会館
まぁ!懐かしい☆堀高(堀川高校)の近く…
ウィキペディアによれば、煎茶道(せんちゃどう)は、広義には茶道の一種。ただし、一般的には茶道は抹茶を用いる抹茶道を指すことから、急須等を用いて煎茶や玉露などの茶葉に湯を注いで飲む形式を採る煎茶道は、茶道とは別のものとして捉えられている。
日本における煎茶道の開祖は、江戸時代初期に禅宗の一つである黄檗宗を開いた隠元隆琦とされている。
このことから、現在も全日本煎茶道連盟の事務局は京都の黄檗山萬福寺内に置かれ、同連盟の会長は萬福寺の管長が兼務することが慣わしとなっている。
この頃既に茶道の世界において形式化が進みつつあったことへの反発に加え、煎茶自体が当時最新の中国文化であったことなどから、形式にとらわれずに煎茶を飲みながら清談を交わすいわゆる「煎茶趣味」が文人の間で急速に広まった。
江戸中期になると売茶翁により、それまで中国文化の模倣の域を出なかった煎茶趣味の世界に独自の方向が示され、さらに煎茶は江戸や京都・大坂を中心に上流階級に広く普及した。
この動きの中で、主に「より美味しいお茶を味わうため」の技術を追求する目的に加え茶道の流儀などを参考とし、一定の形式や礼法を定めた「宗匠派」と呼ばれる一派も生まれる。
その後明治・大正期の文明開化の流れの中で西洋文化がもてはやされたことから、中国文化に由来する煎茶道は一時衰退を余儀なくされるが、昭和に入り煎茶道を復興しようとする動きが各地で盛んとなり、1956年には全日本煎茶道連盟が設立される。
1960〜1970年代には煎茶道は一時隆盛を迎えるが、近年煎茶の大衆化が進むにつれ煎茶道への関心は薄れてきており、現在動きは停滞している状況である。
流派
2008年現在全日本煎茶道連盟には39の流派が加盟しているほか、連盟に非加盟の小流派も多数存在する模様。
いわゆる三千家が支配的な地位を占める茶道と異なり、煎茶道においては多数の小流派が乱立している状態が続いている。
主な流派
小川流
花月菴流(旧 清風流)
皇風煎茶禮式
松風清社
黄檗掬泉流
黄檗東本流
黄檗松風流
黄檗幽茗流
黄檗売茶流
小笠原流
東仙流(家元・泉涌寺長老)
習軒流
薫風流
松月流
松風花月流
二條流
日本礼道小笠原流
東阿部流
光輝流
一茶菴流
美風流
瑞芽庵流
静風流
黄檗弘風流
三癸亭賣茶流