(写真は天神祭 船能 「羽衣」)
柳宗玄
1917年2月18日柳 宗玄の生まれた日
柳宗玄(やなぎ むねもと、1917年2月18日 - )
美術史家。
お茶の水女子大学名誉教授。
父は民藝運動で著名な柳宗悦で、次男。母は声楽家の柳兼子、妻は志賀直哉の四女・万亀子。
柳宗玄は東京生まれ、白樺派運動の中心にいた父 柳宗悦の下で幼少期より芸術活動に触れていた。
父 柳宗悦
民芸運動
1926年(大正15年)、「日本民芸美術館設立趣意書」の発刊により開始された、日常的な暮らしの中で使われてきた手仕事の日用品の中に「用の美」を見出し、活用する日本独自の運動。
21世紀の現在でも活動が続けられている。
雑誌『白樺』の同人であり西洋近代美術の紹介者でもあった柳は、1914年(大正3年)、朝鮮陶磁研究家の浅川伯教との出会いを通じて朝鮮の美術に関心をもつようになり朝鮮王朝時代の白磁、朝鮮民画、家具などの素朴な美を世に紹介することに努めた。
1923年の関東大震災の大被害を契機として京都に居を移した柳は、濱田庄司、河井寛次郎らとともに、いわゆる「民芸運動」を展開した。
柳、濱田、河井らは、当時の美術界ではほとんど無視されていた日本各地の日常雑器、日用品など、無名の工人による民衆的工芸品の中に真の美を見出し、これを世に広く紹介する活動に尽力した。
柳はこうして収集した工芸品を私有せず広く一般に公開したいと考えていた。
白樺派(しらかばは)とは
1910年(明治43年)創刊の同人誌『白樺』を中心にして起こった文芸思潮のひとつ。
また、その理念や作風を共有していたと考えられる作家達のこと。
作家では有島武郎、木下利玄、里見弴、柳宗悦、郡虎彦、長與善郎の他、画家では中川一政、梅原龍三郎、岸田劉生、椿貞雄など
大正デモクラシーなど自由主義の空気を背景に人間の生命を高らかに謳い、理想主義・人道主義・個人主義的な作品を制作した。人間肯定を指向し、自然主義にかわって1910年代の文学の中心となった。
写実的、生活密着的歌風を特徴とするアララギ派と対比されることもある。
柳宗玄は1966年よりトルコのカッパドキアへ古代オリエント美術調査団の一員として参加。
1972年『ロマネスク美術』(学研)の編集で毎日出版文化賞受賞
今日2月18日は柳宗玄氏の誕生日
そんなこんなの日で、お誕生日おめでとうございます。
さ!!家事の続きをしましょうっと^^
柳宗玄
1917年2月18日柳 宗玄の生まれた日
柳宗玄(やなぎ むねもと、1917年2月18日 - )
美術史家。
お茶の水女子大学名誉教授。
父は民藝運動で著名な柳宗悦で、次男。母は声楽家の柳兼子、妻は志賀直哉の四女・万亀子。
柳宗玄は東京生まれ、白樺派運動の中心にいた父 柳宗悦の下で幼少期より芸術活動に触れていた。
父 柳宗悦
民芸運動
1926年(大正15年)、「日本民芸美術館設立趣意書」の発刊により開始された、日常的な暮らしの中で使われてきた手仕事の日用品の中に「用の美」を見出し、活用する日本独自の運動。
21世紀の現在でも活動が続けられている。
雑誌『白樺』の同人であり西洋近代美術の紹介者でもあった柳は、1914年(大正3年)、朝鮮陶磁研究家の浅川伯教との出会いを通じて朝鮮の美術に関心をもつようになり朝鮮王朝時代の白磁、朝鮮民画、家具などの素朴な美を世に紹介することに努めた。
1923年の関東大震災の大被害を契機として京都に居を移した柳は、濱田庄司、河井寛次郎らとともに、いわゆる「民芸運動」を展開した。
柳、濱田、河井らは、当時の美術界ではほとんど無視されていた日本各地の日常雑器、日用品など、無名の工人による民衆的工芸品の中に真の美を見出し、これを世に広く紹介する活動に尽力した。
柳はこうして収集した工芸品を私有せず広く一般に公開したいと考えていた。
白樺派(しらかばは)とは
1910年(明治43年)創刊の同人誌『白樺』を中心にして起こった文芸思潮のひとつ。
また、その理念や作風を共有していたと考えられる作家達のこと。
作家では有島武郎、木下利玄、里見弴、柳宗悦、郡虎彦、長與善郎の他、画家では中川一政、梅原龍三郎、岸田劉生、椿貞雄など
大正デモクラシーなど自由主義の空気を背景に人間の生命を高らかに謳い、理想主義・人道主義・個人主義的な作品を制作した。人間肯定を指向し、自然主義にかわって1910年代の文学の中心となった。
写実的、生活密着的歌風を特徴とするアララギ派と対比されることもある。
柳宗玄は1966年よりトルコのカッパドキアへ古代オリエント美術調査団の一員として参加。
1972年『ロマネスク美術』(学研)の編集で毎日出版文化賞受賞
今日2月18日は柳宗玄氏の誕生日
そんなこんなの日で、お誕生日おめでとうございます。
さ!!家事の続きをしましょうっと^^