65:『日本書紀巻十 一 誉田天皇 応神天皇』/『誉田宗庿縁起』(こんだそうびょうえんぎ) 一部
『箱根権現縁起 誉田宗縁起』(続々日本絵巻大成 伝記・縁起篇7)から『誉田宗庿縁起』を読もうと思い、三巻分全てを複写させて頂く。
詞書を起こそうと思ったが、釈文す等難しい。
仕方が無いので家族に相談すると、日本書紀を教えてくれた。
今回は岩波の日本古典文学大系(赤)日本書紀上
362ページ 日本書紀巻十
一 誉田天皇 応神天皇
【誉田天皇】は ほむたのすめらみこと
【応神天皇】は おうじんてんわう(と普通に読む)
「ほむたのすめらみこと」 を、十回言ってみる。
まるで、呪文のように聞こえる。
横で、夫があきれ果てる。
阿呆で、ごめんぴょん!
【歳次庚辰の冬十二月を以て】が
ほしかのえたつにやどるとしのふゆしはすをもて
【摂政】が まつりごとふさねをさめたまふ
ここでまた「まつりごとふさねをさめたまふ」を十回ニ十回と唱え、「ほむたのすめらみこと」と「まつりごとふさねをさめたまふ」がこだまする。
食事中も忘れず唱えていた。
だが、落語の無ず溜まりをとんではお使い物を忘れるなんとかみたいに、皿を洗う頃には忘れていた。
『誉田宗庿縁起』(こんだそうびょうえんぎ)
『誉田宗庿縁起』とは
絵巻。3巻。大阪・誉田八幡宮(はちまんぐう)(羽曳野(はびきの)市誉田)蔵。欽明(きんめい)天皇の勅命によって誉田八幡の宗廟(そうびょう)を応神(おうじん)天皇の御陵前につくった由来と、誉田八幡大菩薩(だいぼさつ)の霊験を描いたもの。古来武家の尊崇を集めた各地の八幡宮には八幡宮縁起絵巻の存するものが少なくないが、とくに誉田八幡宮は、八幡宮の主神である応神天皇(誉田別尊)の御陵近くに建てられた宮で、武家時代の信仰がことに厚く、同時に『誉田宗縁起』の存在も有名である。なお本絵巻は1433年(永享5)将軍足利義教(あしかがよしのり)が当宮に寄進したもの。
日本大百科全書(小学館)より 引用
「【▽皇▽尊/天=皇】すめら‐みこと」とは
天皇(てんのう)を敬い尊んでいう語。すべらみこと。
「天朝(すめらみこと)許し給はず」〈皇極紀〉
goo辞書より 引用
「庚辰(かのえたつ、こうしん)」とは
庚辰(かのえたつ、こうしん)は、干支の一つ。
干支の組み合わせの17番目で、前は己卯、次は辛巳である。陰陽五行では、十干の庚は陽の金、十二支の辰は陽の土で、相生(土生金)である。
西暦年の下1桁が0・5(十干が庚・乙)の年の3月が庚辰の月となる。ただしここでいう月は、旧暦の月や節月(清明から立夏の前日まで)を適用する場合もある。
ウィキペディアより 引用
日本書紀巻十 一 誉田天皇 応神天皇
上を見るように、このページの最後は【を】で終わり、次のページに続いている。
一 誉田天皇 応神天皇だけで 全部で20ページ
恐るべし!日本書紀☆
夏の終わりに 四日間開かれた法○寺学でお知り合いになった殿方のお一人は、日本書紀を教えておられるとおっしゃっていた。
ならばわたくしも少しは読もうと考えたが、これではお手上げ。
このページだけで、小一時間を費やした。
これではとうてい『誉田宗庿縁起』(こんだそうびょうえんぎ)には辿り着かない。
ずいぶん昔に「日本書紀」読了の夫は、横で相変わらず笑みを浮かべている。
これ、手ほどきが無いと、わたくしには無理だわ☆
一ページとはいえ、全てにつき合ってくれた夫に、心から感謝。
阿呆で、ごめんぴょんぴょん!
わたくしは絵巻物が読みたいんだと、自分に言い訳し、先を急ぐことにした。