34: 『風姿花伝』
野上豊一郎・西尾実校訂
岩波文庫 33-001-1
花伝書「風姿花伝」本文
ウィキペディアより ▼
風姿花伝 (ふうしかでん、風姿華傳) は、世阿弥が記した能の理論書。世阿弥の残した21種の伝書のうち最初の作品。亡父観阿弥の教えをもとに、世阿弥自身が会得した芸道の視点からの解釈を加えた著述になっている。
成立は15世紀の初め頃。全七編あり、最初の三つが応永7年(1400年)に、残りがその後20年くらいかけて執筆・改訂されたと考えられている。「幽玄」「物真似」「花」といった芸の神髄を語る表現はここにその典拠がある。最古の能楽論の書であり、日本最古の演劇論とも言える。
多くの人に読まれ出したのは、20世紀に入った明治42年に、吉田東伍が学会に発表してからで、それまで「秘伝書」として、その存在すらほとんど知られていなかった。『花伝書』の通称が用いられていた頃もあったが、後の研究の結果現在では誤称とされる。
内容は、能の修行法、心得、演技論、演出論、歴史、能の美学など。能の芸道論としても読めるし、また日本の美学の古典ともいう。Kadensho、Flowering Spirit などの題名で何度か外国語訳もされ、日本国外でも評価されている。
『風姿花伝』を本日読了。
気になる部分の本の一部分だけを記録しておきたい。
57ページから引用▼
花の萎れたらんこそ、面白けれ。花咲かぬ草木の萎れたらんは、何か面白かるべき。されば,花を極めん事一大事なるに、その上と申すべき事なれば、萎れたる風體(ふうてい)、返す返す大事なり。
然る程に,たとえにも申し難し。古歌に云わく、
薄霧の籬(まがき)の花の朝じめり 秋は夕(ゆうべ)と誰かいいけん
また云わく、
色見えで移ろうものは世の中の 人の心の花にぞありける
かように……。
103ページから引用 ▼
一、 秘する花を知る事。秘すれば花なり。秘せずば花なるべからず。となり。この分け目を知る事、肝要(かんえつ)の花なり。……。