『人と文学 小林秀雄』2 「『無常といふ事』と沈黙」 細谷博著 勉誠出版 memo
前回は「一ツの脳髄」について書かれた箇所を読んだが今回は『無常といふ事』と云う言葉の響きと、『当麻』『徒然草』に惹かれ、「『無常といふ事』と沈黙」を読む。
本書を頼りとして、小林秀雄の『当麻』或いは『徒然草』を読んで見たいと思う。
『無常といふ事』(小林秀雄)は『カラマアゾフの兄弟』と並行して、以下の作品を連載されたそうだ(135)
『当麻』
『無常といふ事』
『徒然草』
『西行』
『実朝』
本書で、〈「対象(もの)」を前にした「経験」〉と云う言葉の魔力に取り憑かれるが、如何にせん、難しい。(135)
自分の無力さを、恨む。
〈「対象(もの)」を前にした「経験」〉(135)
『オリンピア』
『満州の印象』
「仮面を脱げ、素面を見よ」と喚きながら(136)
となれば、是非とも『当麻』が読みたいと感じる。
「いかにかすべき我心」と云う「呪文」を繰り返した『自意識人』西行は、何事かを「我慢」しているのだ、と小林は言う。「自然」は彼に「謎」をかけて苦しめ、彼より孤独にする。すなわち、孤独はここで何より「守られる」ものとしてある。(138−139)
ここの記述、かなり好きだと感じる。
こうなると、『西行』から読むべきか、、、
実篤の孤独は、強いられたもの(139)
《文学者ほど言葉に対して神経質なものはない。百円の言葉で必ず百円のものが買えるやうに大事な言葉を使いたい、これが文学者の願いです。》
(「文学者の提供について)」 (141)
『人と文学 小林秀雄』の「『無常といふ事』と沈黙」には「本居宣長」を引いた小林秀雄についての記述もある。
『一言放談抄』
「充ち足りた時間」を思い出し、本居宣長の思想を「解釈を拒絶して動じない者だけが美しい」と想起し、「記憶するだけではいけないだろう。思ひ出さなくてはいけないだらう」と考える。(137)
『人と文学 小林秀雄』 細谷博 著 勉誠出版
さて、どれから読もうかと、嬉しい悩み。
『人と文学 小林秀雄』は小林秀雄の作品を読みたいと思い、また、読むきっかけを与えてくださる良書。
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上と以下の写真はアブヤネ(アブヤーネ)
先日ふとアブヤネを思い出した。
いや違う。
アブヤネは良い思い出が多い。
好きな村で、度々昔話を思い出してはほくそ笑んでいる。
アブヤネには二回訪れた。
そのうちの一回は、2008年だったんだ。
バラの模様。スカーフ風な巻き方をしたヘジャブの女たちが印象深い。
ついこのあいだのように感じる、、、