五十鈴川 (伊勢神宮 内宮近く& おかげ横丁近くの 五十鈴川) (4景) 三重県伊勢市
伊勢神宮 内宮近く
五十鈴川
小学生の修学旅行の時にここを落とすれたことがある。
その時、赤や黄色の色とりどりのおびただしい数の錦鯉が、我先にと顔を出し餌を求めていた。
あまりにも多い恋の数に、十代だった私は驚いたことを今も鮮明に覚えている。
その後、何度か五十鈴川を訪れたが、そういった光景には出会わなかった。
今回は内宮近くの五十鈴川で、数多い稚魚と、何匹かの黒い身なりの地味な鯉に出会うことができた。
伊勢神宮 内宮近く
五十鈴川
女性が、稚魚の様子を覗き込まれているようだ、、、
おかげ横丁の店横から、五十鈴川に出てみた。
こちらも人はまばらで、良い景色であった。
おかげ横丁の店ぼ横から、五十鈴川に出てみた。
こちらも人はまばらで、良い景色であった。
五十鈴川とは (ウィキペディアより)
伊勢市南部に源を発し北流。
伊勢市街を流れ、伊勢湾に注ぐ。
倭姫命が御裳のすその汚れを濯いだという伝説があり、御裳濯川(みもすそがわ)の異名を持つ[。
古くから清流とされ、和歌にも多く歌われた。
神路山を源流とし、支流島路川と合流、皇大神宮(伊勢神宮内宮)の西端を流れており、御手洗場(みたらしば)が作られている。
この御手洗場では、かつては手洗いだけではなく、口濯ぎまで行われた。
現在でも伊勢神宮の公式ウェブサイトで「神聖な川、清浄な川として知られる五十鈴川の水で心身ともに清めてから参宮しましょう」「天気のいい日は五十鈴川「御手洗場」で、口と手を清めることをお勧めします」と記載され、推奨されている。
この川に架かる宇治橋は、聖俗界を分ける境界といわれる。
川にはコイが棲息している。
倭姫命(やまとひめのみこと)とは (日本大百科全書(ニッポニカ)より)
垂仁(すいにん)天皇の皇女。
母は皇后日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)。
垂仁天皇25年、それまで倭(やまと)の笠縫邑(かさぬいのむら)で天照大神(あまてらすおおみかみ)を奉斎していた崇神(すじん)天皇の皇女豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)にかわって奉仕、さらによい鎮座地を求めて伊賀、近江(おうみ)、美濃(みの)、尾張(おわり)を経て伊勢(いせ)国五十鈴(いすず)川上に遷座したと伝承される。
また、景行(けいこう)天皇の時代に日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の途中伊勢に寄ったとき、神意を受け草薙剣(くさなぎのつるぎ)を授け、「慎みて怠ることなかれ」と戒めて尊の危急を救ったと伝承される。
現在三重県伊勢市倭町にその御陵伝承地があり、皇大神宮別宮の一として倭姫宮が1923年(大正12)創建された。
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