安堵町歴史民俗資料館 灯芯 茶室 『庄屋跡役願書』(明治)
安堵町歴史民俗資料館には、茶室が二室ある。
写真はそのうちの一つ。
安堵町にゆかりのあるロウソクが灯されていた。
美しい茶室だが、名前を忘れてしまった><
確か松、、、、
『庄屋跡役願書』(明治四年十一月)
興味深かった。
先月、初めて奈良の安堵町を散策した。
浄土真宗本願寺派 龍華山 善照寺〔はじめての安堵町) 樹齢300年の盆栽と云われる冨生の松(ふしょうのまつ)は重厚で美しい(11景)寺などが多く、歴史を感じる重々しい村であった。
陶芸家である富本憲吉の生家もあったが、今は公開されておらず、ホテルとなっていた。
安堵町歴史民俗資料館には灯芯にまつわる展示が多く公開されていた。
資料館の近くの田畑には、灯芯の材料となるイグサが育てられていた。
ロウソクは東大寺を始め、多くの神社仏閣に収められていたという。
東大寺のロウソクと書かれており、東大寺の油の話を思い出した。
東大寺は菜種油の独占販売許可書を与えた店のみ販売でき、高くて庶民派使えなかったという。
見かねた良心的な油屋が、安い値段で菜種油を販売したとこと、東大寺の僧兵が良心的な油屋に火をつけたという。
こんな事を何かで読んだような記憶があるが、真偽は知らない。
富本 憲吉とは (ウィキペディア)
富本 憲吉(とみもと けんきち、1886年(明治19年)6月5日 - 1963年(昭和38年)6月8日)は、日本の陶芸家。
人間国宝、文化勲章受章者。映画監督・テレビ演出者の富本壮吉は長男にあたる。
大阪府(??)平群郡安堵村(現・奈良県生駒郡安堵町)の大地主の家に生まれ、幼少より絵を学ぶ。
東京美術学校に入学して建築、室内装飾を専攻。
在学中にウィリアム・モリスの工芸思想に影響され1908年(明治41年)、卒業前にロンドンへ私費留学(留学中に卒業)。 云々
安堵町歴史民俗資料館とは (安堵町歴史民俗資料館公式HPより引用)
安堵町歴史民俗資料館は今村氏の邸宅を活用した展示施設です。
幕末には伴林光平など後の天誅組に関わった人物が集い、盛んに文化交流がなされました。
奈良県再設置運動に尽力した、運動家今村勤三の生家でもあります。
主な展示内容は、江戸時代から伝わる古文書や、日々の生活で人々が使用した民具の数々、町の伝統産業であった「灯芯ひき」などです。
当館では、先人が残した暮らしの中の文化を継承するため、年間を通して様々な体験会(灯芯ひき・藺草栽培・古代米栽培・わらぞうり作りなど)を開催しています。
今村 勤三(いまむら きんぞう)とは (ウィキペディア引用)
今村 勤三(いまむら きんぞう、1851年3月1日 - 1924年10月26日)は、明治から大正期の実業家・政治家。
奈良県安堵町生まれ。銀行家・今村幸男、大阪大学第5代総長・今村荒男、大日本紡績常務取締役・今村奇男の父。
天誅組の立役者・今村文吾の甥。