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Channel: 乱鳥の書きなぐり
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ドラマ『 メディチ家 シーズン1 全8話 (Medici: Masters of Florence Season 1 8 episodes)』 全8話

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写真:大神神社にて

 

 

 

 

ドラマ『 メディチ家 シーズン1 全8話 (Medici: Masters of Florence Season 1 8 episodes)』 全8話

 

 

 ドラマ『 メディチ家 シーズン1』 全8話 を見た。

 丁寧に制作され、重厚で興味深いが、いかに線、私が契約しているテレビ局では、『 メディチ家 』のシーズン1までしか放映されてない。

 明らかに次に続く内容で、半端で悶々とした感が否めない。

 おそらく、ドラマのシーズンを見れば、かなりの満足感が得られる事であろう。

 残念である。

 私はh●luをを利用しているが、今後はドラマなどをいる場合には、シーズンが全て揃って放映されていることを確かめてから見る必要があることに気づいた。

 面白く感じるドラマの場合は、なおさらである。

 

 ドラマ『 メディチ家』 であるが、メディチというのが私にとっては親しみやすい。

 美術の好きな父が、メディチとアグリッパーの石像、及びベトーベンのマスクを所有していて私にくれたことがあった。

 模様見真似。木炭で書くには書いたが、様にならなかったことを覚えている。(笑)

 その後胸像やマスクはしかるべき型の申し出で譲り渡したが、今でも書いているとのことで、嬉し限りである。

 

 フィレンティには学生時代に行ったことがあるが、ドラマの町並みを見ていて、もう一度行って見たいと感じた。

 コロナが落ち着けば、家族と私が健康な限り、行きたいところに行って見たい。

 

 

 

 メディチ家の起源(ウィキペディア)

「メディチ」は「医師」という意味で、先祖は薬種問屋か医師であったのではないかとされており、13世紀のフィレンツェ政府の評議会議員の記録に既にメディチの名前が残されているが、それ以前の経歴や一族の出自に付いてはあまり明らかにされていない。

 美術研究家の高階秀爾は著書で、メディチ家が元々はムジェッロ(英語版)出身の農民であり、田地を売り払って街に出たと推測している。

 メディチの紋章(金地に数個の赤い球を配する)の由来については、2つの説がある。

 ひとつは、「メディチ」(Medici)の家名そのものが示すように、彼らの祖先は医師(単数medico/複数medici)ないし薬種商であり、赤い球は丸薬、あるいは吸い玉(血を吸いだすために用いる丸いガラス玉)を表しているという説である。

 もうひとつは、メディチ家をフィレンツェ随一の大富豪にした当の職業、すなわち銀行業(両替商)にちなんで、貨幣、あるいは両替商の秤の分銅を表しているという説である。

 銀行業を始める前は、薬品の一種で欧州の工業で大きな位置を占めていた毛織物産業において媒染剤として重用されたミョウバンを商って栄えていた。

 いずれにしろ、一族に多いコジモの名は、医師と薬剤師の守護聖人、聖コスマスに由来している。

 14世紀には銀行家として台頭し、フィレンツェ共和国政府にもメンバーを送りこむまでになった。

 1378年の下層労働者と新興商人が結んだチョンピの乱では、メディチ一族のサルヴェストロが活躍するが、反対派のアルビッツィ家らに巻き返されて失敗する。サルヴェストロの名は、永くフィレンツェ市民の記憶に残ったというが、一族の勢力は衰えた。そうした中で後のメディチ一族の基礎を作ったのはヴィエーリ・ディ・カンビオ(1323年 - 1395年)である。

 ヴィエーリはローマ教皇庁にもつながりを持って、銀行業で成功した。

 

 

 銀行家としての成功

 メディチ家は、ジョヴァンニ・ディ・ビッチ(1360年 - 1429年)の代に銀行業で大きな成功を収める。

 メディチ銀行はローマやヴェネツィアへ支店網を広げ、1410年にはローマ教皇庁会計院の財務管理者となり、教皇庁の金融業務で優位な立場を得て、莫大な収益を手にすることに成功した。

 これは教会大分裂(シスマ)の続くキリスト教界の対立に介入し、バルダッサッレ・コッサなる醜聞に包まれた人物を支援し、対立教皇ヨハネス23世として即位させた賜物であった。

 1422年、ローマ教皇マルティヌス5世はモンテ・ヴェルデの伯爵位を授けようとしたが、ジョヴァンニは政治的な配慮から辞退し、一市民の立場に留まった。

 

 

メディチ家とフィレンツェの黄金時代

 ジョヴァンニの息子コジモ(1389年 - 1464年、コジモ・イル・ヴェッキオ)は政敵によって一時追放されるが、1434年にフィレンツェに帰還し、政府の実権を握る(1434年から一時期を除き、1737年までのメディチ家の支配体制の基礎が確立する)。

 自らの派閥が常に多数を占めるように公職選挙制度を操作し、事実上の支配者(シニョリーア)としてフィレンツェ共和国を統治した。家業の銀行業も隆盛を極め、支店網はイタリア各地の他、ロンドン・ジュネーヴ・アヴィニョン・ブルッヘなどへ拡大した。

 メディチ家はイタリアだけでなくヨーロッパでも有数の大富豪となった。

 その子であるピエロ(1416年 - 1469年)は、ピエロ・イル・ゴットーゾ(痛風病みの)と呼ばれ、病弱であったが、反メディチ派を抑え込み、メディチ家の黄金時代を維持させることに成功した。

 

 一方でパトロンとしては独自の才覚を発揮し、アルベルティ、ドナテッロ、フィリッポ・リッピ、ベノッツォ・ゴッツォリなどが活躍した。

 ボッティチェリもピエロの代に輩出するのである。 コジモの孫のロレンツォ(1449年 - 1492年)は優れた政治・外交能力を持っていた。イタリア各国の利害を調整する立場として大きな影響力を振るい、信頼を得ていた。

 パッツィ家の陰謀への対処に見られるように反対派には容赦無い弾圧を加える一方で、一般市民には気前良く振舞い、またボッティチェリ、ミケランジェロなど多数の芸術家を保護するパトロンとしても知られている。

 ロレンツォの時代はフィレンツェの最盛期でもあり、「偉大なるロレンツォ」(ロレンツォ・イル・マニーフィコ)と呼ばれた。しかし、銀行経営の内実は巨額の赤字であり、曾祖父ジョヴァンニと祖父が築き上げたメディチ銀行(イタリア語版、英語版)は破綻寸前の状態であった。

 また、共和国の公金にも手を付けていたといわれる。

 ロレンツォの不正は、メディチ家のフィレンツェの支配者としての意識の変質を物語るものとなる。

 

 

 

 

 第1話「原罪」

 第2話「円蓋」

第3話「疫病」

第4話「審判の日」

第5話「誘惑」

第6話「帰還」

第7話「煉獄」

第8話「主の顕現」


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