写真は、祇園祭期間中に八坂神社で舞われる、鷺祭り
ドラマ『ヒポクラテス』を見たので、ヒポクラテスについて調べてみる。
劇中、何度となく大学の廊下でヒポクラテスに文言を誓ったり、医学の何かに行き詰まると、感慨深く読み直す場面があった。
ドラマ『連続ドラマW ヒポクラテスの誓い』2016 全5回 原作 中山七里 脚本 篠﨑絵里子 北川景子 柴田恭兵 金田明夫 相島一之 古谷一行他ヒポクラテスでは、十字に書かれたヒポクラテスの誓いが有名である。
なので、ヒポクラテスについて、簡単に調べてみることにした。
ヒポクラテス(ウィキペディア)
ヒポクラテス(ヒッポクラテース、古代ギリシア語: Ἱπποκράτης、英語: Hippocrates , 紀元前460年ごろ - 紀元前370年ごろ)
古代ギリシアの医者。
エーゲ海に面したイオニア地方南端のコス島に生まれ、医学を学びギリシア各地を遍歴したと言い伝えられるが、その生涯について詳しいことは分かっていない。
ヒポクラテスの名を冠した『ヒポクラテス全集』が今日まで伝わるが、その編纂はヒポクラテスの死後100年以上経ってからとされ、内容もヒポクラテス派(コス派)の他、ライバル関係であったクニドス派の著作や、ヒポクラテスの以後の著作も多く含まれると見られている。
ヒポクラテス(或いはヒポクラテス派)の最も重要な功績のひとつに、医学を原始的な迷信や呪術から切り離し、臨床と観察を重んじる経験科学へと発展させたことが挙げられる。
さらに医師の倫理性と客観性について『誓い』と題した文章が全集に収められ、現在でも『ヒポクラテスの誓い』として受け継がれている。
人生は短く、術のみちは長い "ὁ βίος βραχύς, ἡ δὲ τέχνη μακρή." と言う有名な言葉もヒポクラテスのものとされており、これは「ars longa, vita brevis アルスロンガ、ウィータブレウィス」というラテン語訳で現代でも広く知られている。
病気は4種類の体液の混合に変調が生じた時に起こるという四体液説を唱えた。また人間のおかれた環境(自然環境、政治的環境)が健康に及ぼす影響についても先駆的な著作をのこしている。
これらヒポクラテスの功績は古代ローマの医学者ガレノスを経て後の西洋医学に大きな影響を与えたことから、ヒポクラテスは「医学の父」、「医聖」、「疫学の祖」などと呼ばれる。
『ヒポクラテスの誓い』
『ヒポクラテスの誓い』はヒポクラテス全集の内でも最も有名な文書。
今日まで医療倫理に大きな影響を与えてきた。
ヒポクラテスの死後書かれた可能性があることから、近年この文書の著者が誰であるかについて調査研究の対象となっている。
今日の医療倫理に『誓い』をそのままの形で採用することは稀であるが、その精神は現代の医療モラルに関する規定や規律の基礎に受け継がれている。
医学部を卒業するときにこの『誓い』(あるいは学校独自の『誓い』)を立てることも多く、『ヒポクラテスの誓い』は今日でも形を変えて医師達の間に生き続けている。
ヒポクラテスの医学
ヒポクラテスは、病気とは自然に発生するものであって超自然的な力(迷信、呪術)や神々の仕業ではないと考えた最初の人物とされている。
哲学(イオニア自然学)に対しても、『古い医術について』という論文ではエンペドクレスのような空気・水・火・土を四大元素とする哲学的傾向や、クロトンのアルクマイオンのように熱・冷・乾・湿をそれぞれ対抗する力とらえ、病気の原因や治療をそこから説こうとする傾向を医学から排除しようとしている。
医学を宗教から切り離し、病気は神々の与えた罰などではなく、環境、食事や生活習慣によるものであると信じ、主張した。
たしかに『ヒポクラテス全集』には、一部の『養生法』を除いて迷信的要素はないが、一方でヒポクラテス自身解剖学的、生理学的に誤りである四体液説を信じ、これに基づいた医療行為を行っていた。
古代ギリシアの医学は、クニドス派とコス派(ヒポクラテス派)の二つの学派に分かれていた。
クニドス派は診断(diagnosis)を重視した。これはつまり、病気をくわしく分類し、身体のどこがどんな病気に罹ったを特定して治療する方法であるが、当時ギリシアでは人の体を解剖することがタブーとして禁じられており、医師は解剖学・生理学の知識をほとんど持っていなかったことから、結果としてクニドス派は診断を誤ることも多かったという。
一方、コス派は、予後(prognosis)を診断以上に重んじ、効果的な治療を施し大きな成果を上げた。
コス派は、季節・大気といった環境の乱れや食餌の乱れが体液の悪い混和をもたらし病気を引き起こすと考えたので、患部はつねに体全体であり、病気は一つであった。
19世紀以降の現代西洋医学は、ヒポクラテス説からは距離をおいたものとなっている。
今日(西洋医学の)医師は診断で病名を特定し、それに対する専門の治療を行うことを重視しており、この2点は(結局)クニドス派の手法である。
(19~20世紀になると、西洋医学では)考え方がヒポクラテスの時代とは異なったものに変化し、「良いことをするか、できなければ少なくとも悪いことをするな」というヒポクラテス派の考え方を、「消極的な診療」として批判する医師が増えた。
フランスの医師ウダールは「ヒポクラテス派がやったことは、便、尿、汗などを調べ、その中に「消化」の兆候を探り、分利を告げ、死を宣告する、それだけではないか」とした。
体液病理説と分利
詳細は「四体液説」および「en:Humorism」を参照 体液病理説とは
「人間の身体を構成する体液の調和が崩れることで病気になる」とする説
18世紀に病理解剖学が生まれるまでは臨床医学の主流の考え方であり、その後も病態生理学の土台となった考えであった。
ヒポクラテス医学においては、『人間の自然性において』で示されるように、人間は血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁の四体液をもち、それらが調和していると健康であるが、どれかが過大・過小また遊離し孤立した場合、その身体部位が病苦を病むとした。
このほか、ヒポクラテス医学における重要な概念のひとつが分利(crisis)である。
分利とは、病気の進行における段階のひとつであり、この段階においては患者が病に屈して死を迎えるか、あるいは反対に自然治癒によって患者が回復するかのいずれかが起こる。
また、病気が分利を経て一旦回復した後に再発した場合は、もう一度分利を迎えることとなる。分利は罹患して一定期間後にみられる「危篤日」に起こる傾向があることが分かるが、分利が「危篤日」から大きくずれて見られた場合は病気の悪化が懸念される。ガレノスはこれをヒポクラテスの考えであるとしたが、実際にはヒポクラテス以前から存在した可能性が指摘されてい
ヒポクラテスの施す医術は、人間に備わる「自然治癒力(ラテン語: vis medicatrix naturae)」、つまり四体液のバランスをとり治癒する自然("physis"ピュシス、「自然」の意)の力を引き出すことに焦点をあてたものであり、そのためには「休息、安静が最も重要である」と述べた。
さらに、患者の環境を整えて清潔な状態を保ち、適切な食餌をとらせることを重視した。
例えば、創傷の治療には、きれいな水とワインだけを用いた。その他鎮痛効果のある香油もときに塗布薬として用いられた。
「一般」病理学に基づき「一般」治療を施すとの考え方から、ときには効き目の強い薬を使うこともあったというが、基本的には患者に薬を投与したり、特定の治療法をとることはしないようにしていた。
こうした受動的、消極的な治療法は、比較的単純な疾患、例えば骨折の中でも骨格組織を牽引して損傷部位の圧迫を軽減する必要のある場合などには大変効果的であった。
《ヒポクラテスのベンチ》や他の器具はこのような目的の為発明され使用された。
nヒポクラテス医学の強みのひとつに、《予後》を重視したことがあげられる。ヒポクラテスの時代には、薬物による治療は未発達であり、医師のできることといえば病気の程度を診断し、他の症例を参考にして病気の進行を予測することぐらいであった。
職業意識
ヒポクラテス学派は、厳格な職業意識、規律、厳しい訓練で有名であった。
『医師について』という文書では、医者というのは、身なりを整え、正直で、冷静で、理解に富み、真面目であることを推奨している。
ヒポクラテス派の医者は訓練中でもあらゆる事柄に十分注意を払う。
手術室の「照明、人員、器具、患者の位置、包帯の巻き方」などにも事細かな仕様があった。
指の爪をきれいに切りそろえることも求められたのである。
ヒポクラテス学派は患者の観察と記録の作成を臨床の原則として重視した。
これは医師各々が臨床にあたって発見した症状と治療法を客観的な方法で明確に記録することで、他の医師がその記録を参照しその治療方法を採用することなどができるようになるからである。
ヒポクラテスは、顔色、脈拍、熱、痛み、動作、排泄など多くの症状に注意を払い、規則正しい記録をつけた。
また病歴を聞くとき、患者がうそをついていないかどうかを知る為に患者の脈を図ったことがあると言われており、こうした観察の対象は、患者の家族の病歴や家屋の環境にまで広げていた。「ヒポクラテスにとっての医術は、臨床検査と観察の技術に負うところが大きかった」という見方もあり、ヒポクラテスは「臨床医学の父」と呼ばれるのがよりふさわしいかもしれない。
以上、簡単なメモにて失礼致します。