法住寺(ほうじゅうじ)
京都府京都市東山区法住寺三十三間堂廻り町655
天台宗の仏教寺院
平安時代中期に藤原為光によって創設され、その後院政期にはこの寺を中心に後白河上皇の宮廷「法住寺殿」がいとなまれた。
法住寺殿が木曾義仲によって焼き討ちされ、数年を経て後白河上皇もなくなると、法住寺は後白河上皇の御陵をまもる寺として江戸時代末期まで存続、明治期に御陵と寺が分離され現在にいたる。
「身代不動明王(みがわりふどうみょうおう)」像
平安期の作風
寺伝では慈覚大師が造立したといわれ、後白河上皇の信仰も篤かった。
義仲の放火のさいに、上皇の身代わりとなったと伝えられており、現在も毎年11月15日には不動会(ふどうえ)がいとなまれる。
後白河天皇法住寺陵
法住寺と隣接する。
宮内庁月輪陵墓監区事務所の管轄。
データーは全て、ウィキペディアより引用させていただきました。
機会があれば近いうちに法住寺(ほうじゅうじ)を訪れ、参拝させていただこうと思います。