絵入 好色一代男 八前之内 巻一 井原西鶴
天和二壬戌年陽月中旬
大阪思案橋 孫兵衞可心板
『絵入 好色一代男』八全之内 巻一 五 煩悩(ほんのう)の垢(あか)かき 【2】十六丁ウ 井原西鶴
しらず、袖(そて)ちいさく、裾(すそ)みぢかく、わけもなふ磯くさく、こゝち
よからざりしを、延齢丹(ゑんれいたん)などにて、胸(むね)おさえ、「昔(むか)し行平(ゆきひら)
何(なに)ものにか、足(あし)さすらせ、気をとらせ給ひ、あまつさへ
別(わかれ)にか、香(かう)包(つゝみ)、衛士籠(ゑじかご)しやくし、擂鉢(すりはち)三とせの世帯道(だう)
具まで、とらされけるよ」と、又の日ハ、兵庫(ひやうご)迄(まで)来(き)て、遊女(ゆうちよ)
の有様、昼夜(ちうや)のわかちありて、半(はん)夜と、せハしく
かきり定めるハ、今にも此(この)津(つ)ハ、風にまかする身(み)とて
、舟子(ふなこ)のよびたる声(こゑ)に、小歌(こうた)を聞(きゝ)さし、或(あるい)は
戴(いたゞひ)て、さし捨(すて)にして行ハ、こゝろのこすハ、のこる
べし、何とやら騒々(そう/″\)しく、是(これ)によこるゝもと、すぐに
風呂(ふろ)に入て、「名(な)のたゝば、水(みず)さします」なとと、口びるそつて
知らず、袖(そで)小さく、裾(すそ)短く、訳も無う磯臭く、心地
良からざりしを、延齢丹(えんれいたん)などにて、胸(むね)おさえ、「昔 行平(ゆきひら)
何者にか、足さすらせ、気をとらせ給い、あまつさへ
別れにか、香包(こうづつみ)、衛士籠(えじかご)杓子、擂鉢(すりばち)、三年(みとせ)の世帯道
具まで、とらされけるよ」と、又の日ハ、兵庫(ひょうご)迄来て、遊女(ゆうじょ)
の有様、昼夜のわかちありて、半夜と、せわしく
かぎり定めるは、今にも此(この)津(つ)は、風に任まかする身(み)とて
、舟子(ふなこ)の呼びたる声に、小歌(こうた)を聞きさし、或は
戴(いただい)て、さし捨てにして行くは、心残すハ、残る
べし、何とやら騒々しく、是(これ)によこるるもと、すぐに
風呂に入て、「名のたたば、水 さします」などと、口びるそって
延齢丹(えんれいたん) 大辞林
江戸時代の健康常備薬。曲直瀬道三(まなせどうさん)の養子 玄朔(げんさく)の創製
曲直瀬道三(まなせどうさん) 大辞林
(1507~1594) 安土桃山の医者。京都生まれ。号、翠竹院、盍静翁(こうせいおう)など。
正親(お荻町)天皇や足利義輝の寵遇を受ける。
京都にに医学舎啓迪院(けいてきいん)を設立。
玄朔(げんさく) ウィキペディア
曲直瀬 玄朔(まなせ げんさく、天文18年 (1594) - 寛永年(1632))は、安土桃山時代、江戸時代の医師。義父は曲直瀬道三。
あまつさへ (剰え)副詞
①そればかりか。 出典平家物語 一・鱸 「あまっさへ丞相(しようじやう)の位にいたる」[訳] そればかりか大臣の位に至る。
②事もあろうに。 出典平家物語 一一・文之沙汰 「あまっさへ封をも解かず」[訳] 事もあろうに封も解かずに。 参考「あまりさへ」の促音便。現代語では音便の意識がなくなって「あまつさえ」となったが、古文では「アマッサエ」と促音で読む。 衛士籠(えじかご 籠、篭)〔衛士がたくかがり火の籠に形が似るところから〕 空薫そらだきに用いる道具。一寸(約3センチメートル)四方ほどの網に香をのせて針金の鉤かぎにかけ、火鉢などに刺して用いる。 舟子(ふなこ) 船子、舟子 船頭の指揮の下にある水夫。船人。水手かこ。水主。 「楫取かじとり、-どもに曰いわく/土左」 名のたたば 大辞林 (浮世が立ったら) (「名のたたば、水 さします」は湯に埋める、浮世がたつにかけてある)
『絵入 好色一代男』八全之内 巻一 五 煩悩(ほんのう)の垢(あか)かき
【1】十六丁オ 井原西鶴
十三夜の月、待宵(まつよい)めいげつ、いつくハ、あれと須磨(すま)は
殊更と、波(なみ)爰元(こゝもと)に、借(か)りきりの小舟(こぶね)、和田(わだ)の御崎
をめくれは、角(つの)の松原塩屋(まつはらしおや)といふ所ハ、敦盛(あつもり)をとつて
おさえて、熊谷(くまかへ)が付さしせしとほり、源氏酒(けんじさけ)と、たハ
ふれしもと、笑(わら)ひて、海(うみ)すこし見わたす、浜庇(はまひさし)に
舎(やど)りて、京よりもたさる、舞鶴(まいつる)花橘(はなたちはな)の
口をきりて、宵(よい)の程ハなくさむ業(わざ)も、次第(したい)に、月さへ
物すこく、一羽の声(こゑ)ハ、つまなし鳥かと、なを淋(さい)しく
一夜も、只ハ暮らし難(かた)し、若ひ蜑(あま)人ハないかと、有ものに
まねかせててみるに、髪(かみ)に指櫛(さしくし)もなく、顔(かほ)に何(なに)塗(ぬる)事も
十三夜の月、待宵名月、何處はあれど、須磨は
殊更と、波 爰元に、借りきり小舟、和田の御崎
をめくれば、角の松原塩屋といふ所ハ、敦盛をとつて
おさえて、熊谷(くまがへ くまがいか)源氏酒(げんじさけ)と、戯
れしもと、笑いて、海少し見わたす、浜庇(はまびさし)に
舎(やど)りて、京よりもたさる、舞鶴(まいづる)花橘(はなたちばな)の
口をきりて、宵(よい)の程ハ 慰む業(わざ)も、次第(しだい)に、月さへ
物すこく、一羽の声(こゑ)ハ、妻無し鳥かと、尚 淋(さい→さみ 掛詞)しく
一夜も、只ハ暮らし難(がた)し、若い蜑(あま)人ハ無いかと、有(無、有 掛詞)ものに
招かせててみるに、髪に指櫛(さしくし)も無く、顔(かお)に何塗(ぬる)事も
【2】十六丁ウ 井原西鶴
しらず、袖(そて)ちいさく、裾(すそ)みぢかく、わけもなふ磯くさく、こゝち
よからざりしを、延齢丹(ゑんれいたん)などにて、胸(むね)おさえ、「昔(むか)し行平(ゆきひら)
何(なに)ものにか、足(あし)さすらせ、気をとらせ給ひ、あまつさへ
別(わかれ)にか、香(かう)包(つゝみ)、衛士籠(ゑじかご)しやくし、擂鉢(すりはち)三とせの世帯道(だう)
具まで、とらされけるよ」と、又の日ハ、兵庫(ひやうご)迄(まで)来(き)て、遊女(ゆうちよ)
の有様、昼夜(ちうや)のわかちありて、半(はん)夜と、せハしく
かきり定めるハ、今にも此(この)津(つ)ハ、風にまかする身(み)とて
、舟子(ふなこ)のよびたる声(こゑ)に、小歌(こうた)を聞(きゝ)さし、或(あるい)は
戴(いたゞひ)て、さし捨(すて)にして行ハ、こゝろのこすハ、のこる
べし、何とやら騒々(そう/″\)しく、是(これ)によこるゝもと、すぐに
風呂(ふろ)に入て、「名(な)のたゝば、水(みず)さします」なとと、口びるそつて
知らず、袖(そで)小さく、裾(すそ)短く、訳も無う磯臭く、心地
良からざりしを、延齢丹(えんれいたん)などにて、胸(むね)おさえ、「昔 行平(ゆきひら)
何者にか、足さすらせ、気をとらせ給い、あまつさへ
別れにか、香包(こうづつみ)、衛士籠(えじかご)杓子、擂鉢(すりばち)、三年(みとせ)の世帯道
具まで、とらされけるよ」と、又の日ハ、兵庫(ひょうご)迄来て、遊女(ゆうじょ)
の有様、昼夜のわかちありて、半夜と、せわしく
かぎり定めるは、今にも此(この)津(つ)は、風に任まかする身(み)とて
、舟子(ふなこ)の呼びたる声に、小歌(こうた)を聞きさし、或は
戴(いただい)て、さし捨てにして行くは、心残すハ、残る
べし、何とやら騒々しく、是(これ)によこるるもと、すぐに
風呂に入て、「名のたたば、水 さします」などと、口びるそって