法隆寺
『東海道中膝栗毛 初編』
此に白旗村といへるは、そのむかし、義経の首こゝに飛び来たりたるをいはひこめて、白はたの宮といへる、今にありと聞て弥次郎兵衛へ(やじろべへえ)
首ばかりとんだはなしの残りけり
ほんのことかはしらはたのみや
それより大磯にいたり、虎が石を見て北八よむ
此さとの虎は藪にも剛(かう)のもの
おもしの石となりし貞節
弥次郎兵衛へ(やじろべへえ)
去りながら石になるとは無分別
ひとつ蓮(はちす)の上には乗られぬ
斯(かく)打(うち)興(こう)じて大磯の街を打過、鴫立沢にいたり、文覚(もんがく)上人が刀作と聞こえし、西行の像にむかひて、
われ/\も天窓(あまた)を破(わ)りて歌よまん
刀(なた)づくりなる御影(みえい)おがみて
甲斐の猿ばし(山梨県北都留守桂川にかかる日本三奇橋)〜白旗村〜鴫立沢(西行 三夕の一首 大磯の東の小磯の路傍に堂があった)
こじつけたような数々の掛詞で、狂歌を形成しているところが面白い。
『東海道中膝栗毛 初編』
此に白旗村といへるは、そのむかし、義経の首こゝに飛び来たりたるをいはひこめて、白はたの宮といへる、今にありと聞て弥次郎兵衛へ(やじろべへえ)
首ばかりとんだはなしの残りけり
ほんのことかはしらはたのみや
それより大磯にいたり、虎が石を見て北八よむ
此さとの虎は藪にも剛(かう)のもの
おもしの石となりし貞節
弥次郎兵衛へ(やじろべへえ)
去りながら石になるとは無分別
ひとつ蓮(はちす)の上には乗られぬ
斯(かく)打(うち)興(こう)じて大磯の街を打過、鴫立沢にいたり、文覚(もんがく)上人が刀作と聞こえし、西行の像にむかひて、
われ/\も天窓(あまた)を破(わ)りて歌よまん
刀(なた)づくりなる御影(みえい)おがみて
甲斐の猿ばし(山梨県北都留守桂川にかかる日本三奇橋)〜白旗村〜鴫立沢(西行 三夕の一首 大磯の東の小磯の路傍に堂があった)
こじつけたような数々の掛詞で、狂歌を形成しているところが面白い。