『バタイユ 呪われた思想家』 江澤 健一郎 著 河出ブックス, 065) 河出書房新社, また途中で見失う。悔しいが、絵巻物を読むことにする。
(P.7〜P.197まで)
江澤 健一郎 著『バタイユ 呪われた思想家』は二、三年前にもいとど挑戦している。
前回は/5くらいで、内容を見失ってしまい断念。
齢を重ねて再挑戦して見たが、今度は2/3までで断念した。
身体の一部がもたらす意味や洞窟壁画についての意味が、バタイユ独自の感覚(?)で説明されており、興味深い。
しかし、文そのものの意味が見えてこない。
一日中私から考えれば意味不明の書物と格闘している家族曰く、
「難しいの読んでるね。もうここまできたの?」
と笑う。
労いかもと思ったが、二人の友人に相談をこうと、一人は、
「これは無理だわ。専門的喃語が連られられており、一文が見えてこない。」
といい、あと一人は、
「これ、翻訳がまずいんじゃない?!難しい専門用語ばっかりで、私たち、わからないよ。」
私が
「はじめに1/3くらいまでは割合に読者を意識して書かれてるんだけど(と、自分の力足らずのアホさ加減をさらけ出す。)」
しかし後者の友人が言うには、
「訳者が噛み砕いてかけないんじゃない?多分。」
で話は千木の話題に移った。
ススキ囁く秋のひとひであった。
『バタイユ 呪われた思想家』
江澤 健一郎 著
河出ブックス, 065)
河出書房新社,
いか、河出書房新社公式HPより
「呪われた思想家」バタイユの核心と可能性は芸術論における「裂け目」にある。傷口から思想家の全体を透視して、全く新たなバタイユ像によって現代を震撼させる気鋭の挑発。
われわれの目の前で裂け目が開く、われわれはあるときは恍惚として歓喜し、笑い、あるときは拒絶し、激高する。歓喜、笑い、拒絶、激高、それらもまたわれわれを引き裂く裂け目の効果である。こうして目の前で口を開ける傷口、この壊れた、対象ならぬ対象、芸術とはその典型ではないだろうか。芸術がわれわれに恍惚をもたらすとすれば、われわれがそこで見つめるのは裂け目であり、内的体験の視覚的対象である。バタイユは、少なからぬ芸術論を執筆した。われわれはこれから、彼が芸術に見いだした多様な裂傷について考察し、その傷口から彼の思想を透視する。(本書より)
江澤 健一郎 (エザワ ケンイチロウ)
フランス文学専攻。著書『バタイユ 呪われた思想家』『ジョルジュ・バタイユの《不定形》の美学』、訳書にバタイユ『ドキュマン』、ディディ=ユベルマン『イメージの前で』他。