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平安時代中期の雅楽家、【狛光高】(こまの みつたか 959-1048)とは

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 奈良県 氷室神社にて




【狛光高】(こまの みつたか)とは

 959-1048 平安時代中期の雅楽家。
 天徳3年生まれ。
 奈良方狛氏の祖。本姓は小野。
 大友信昌にまなぶ。
 宮廷の楽所にはいって左舞(さまい)の一者(いちのもの)を約40年つとめる。
 従五位上、,左近将監(しょうげん)となり、狛姓をあたえられた。
 永承3年3月1日死去。90歳。
 (日本人名大辞典)


 

 


【狛氏】

 旧三方楽人の一つで奈良南都方の主流。
 興福寺に属した宿禰(すくね)姓の雅楽家。
 祖先は高句麗からの渡来人。
《楽所系図》によれば大唐,高麗,新羅,百済などの舞楽師であり、大宰府庁舞師であった狛好行が祖。
 その後葛古、衆古を経て,冷泉天皇のとき衆行が勅によってはじめて興福寺雑掌となった。
 その4代の孫光高(959‐1048)は左舞(さまい)の名人として家名をあげ、第1代の楽所の左方舞人をつとめ,その後の狛氏の発展の基礎を築いた。
 (世界大百科事典)(

【狛近真】(こまのちかざね:1177~1242年)
 狛光近(こまのみつちか)の娘の夫の興福寺五師聖順(せいじゅん)の子で、狛光真(こまのみつざね)の養子
 従五位上
 狛氏は南都(なんと)方の楽家(がっけ)でした。
 寛弘7(1010)年に左右一者(いちのもの)が置かれた際に左一者となった光高(みつたか)を祖とします。
 後に上、西、辻、芝、奥、東、窪、久保の八家に分かれ、左舞(さまい)と管楽器の伝承を代々行いました。
 近真は舞、笛の両道に優れ、「舞曲の父」「伶楽[音楽]の母」(『舞楽符合鈔』)とも称されました。天福元(1233)年には、総合的な楽書の先駆をなす十巻からなる『教訓鈔』を撰しました。
 (楽人列伝)

 文化デジタルライブラリー 伝統芸能の保存及び振興を行う独立行政法人日本芸術文化振興会が運営するサイト  雅楽

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 氷室神社




 

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