写真は大阪城
むめやむめ 右にならえと なくススメ 愚雀乱鳥
「KY風を装う」「空気読めない奴風を装う」方って多いんだよ。
そして、その方達は思っているかも。物事を360度、いやもっと多角的に捉えられないのか知らん、と。
世間でよく言われている「KY」「空気読めない奴」など、あれって、うまく利用してる人って多いんじゃないかな。
もちろん、そういう方たちの中には天然にわかってない場合もも時としてはあるでしょうけど、時として「KY風を装う」「空気読めない奴風を装う」、そういったことってあるよね。
私が学生の頃には「神経質」っていう言葉が独立して流行した時代があったのだけれど、今や、その言葉も廃れたね。
あの頃は、「神経質」と言えば、そうそう、「頭が良い人」とか「個性的な人」のようなニュアンスが含まれて使われていたんだ。
今は、「KY」「空気読めない奴」、挙句の果ては○○障害という曖昧な病名を根拠なくみだりに押し付ける雰囲気も否定できないよね。
そういった時代に、いわば嘘も方便的に「KY風を装う」「空気読めない奴風を装う」などして、緊張したその場を和ませたり、あるいは気づかないふりをして嫌がられていても好きに生きて行動することの重要性に気づき我が道を歩む方々が多いんだ。
そういっている私も、わからない場合もあるんだろうけど、嫌われようが嫌がられようが気づかず好きに生きて楽しもうって感じの場合が多いかも(笑)
そんな風に生きていかないと、やりにくい世の中なのかもしれないね。
先日そういった検索をしてみたら、「KY風を装う」「空気読めない奴風を装う」方達の多さに驚いたよ。
中には年齢別や立場(レベル?)別のような分析までされていて、興味深かったよ。
人の顔色見て行動してたんじゃ、前に進まない場合も多いよ。
なかなか勇気もいるし、ある意味、孤独でもあるけれど、自分は自分だから(笑)
近年、上沼恵美子さんの発言あたりからか、
「あの人とは合わない」
「この歳になってまで、合わない人とは付き合わない」
と言った言葉を発する人が多いけれど、それはそれでいいんじゃない?!そう言った流行語に納得して、そうやって生きていければ上々だと思うよ。
そしてぴったしな方とお食事に行って楽しんでおられる方も多いが、帰宅後悶々とした気分で疲れている方の多さにも驚くよ。
前者なら幸いだけど、後者ならいわゆる「友人ごっこ」「親友ごっこ」で、それもまたいいのかもね。
そもそも「あの人とは合わない」「あの人とは100パーセントは合わない」という言葉ってどういう意味で使ってるのか知らん?
違って当たり前だよねって、常々思ってしまう。
それより要は好きか嫌いか!だけなんでしょう。
それをカッコつけて正当化するっていうこと自体がナンセンスなんだよね。
それが高じて集団化すると、どうなる?!いじめだよ、いじめ。
本人たちは気づいてないけど、悪意のない悪って、救いようがない。
物事を360度、いやもっともっと多角的に捉えられないのか知らんと感じてしまう。
まぁ!そんな感じかな。
むめやむめ 右にならえと なくススメ 愚雀乱鳥
「KY風を装う」「空気読めない奴風を装う」方って多いんだよ。
そして、その方達は思っているかも。物事を360度、いやもっと多角的に捉えられないのか知らん、と。
世間でよく言われている「KY」「空気読めない奴」など、あれって、うまく利用してる人って多いんじゃないかな。
もちろん、そういう方たちの中には天然にわかってない場合もも時としてはあるでしょうけど、時として「KY風を装う」「空気読めない奴風を装う」、そういったことってあるよね。
私が学生の頃には「神経質」っていう言葉が独立して流行した時代があったのだけれど、今や、その言葉も廃れたね。
あの頃は、「神経質」と言えば、そうそう、「頭が良い人」とか「個性的な人」のようなニュアンスが含まれて使われていたんだ。
今は、「KY」「空気読めない奴」、挙句の果ては○○障害という曖昧な病名を根拠なくみだりに押し付ける雰囲気も否定できないよね。
そういった時代に、いわば嘘も方便的に「KY風を装う」「空気読めない奴風を装う」などして、緊張したその場を和ませたり、あるいは気づかないふりをして嫌がられていても好きに生きて行動することの重要性に気づき我が道を歩む方々が多いんだ。
そういっている私も、わからない場合もあるんだろうけど、嫌われようが嫌がられようが気づかず好きに生きて楽しもうって感じの場合が多いかも(笑)
そんな風に生きていかないと、やりにくい世の中なのかもしれないね。
先日そういった検索をしてみたら、「KY風を装う」「空気読めない奴風を装う」方達の多さに驚いたよ。
中には年齢別や立場(レベル?)別のような分析までされていて、興味深かったよ。
人の顔色見て行動してたんじゃ、前に進まない場合も多いよ。
なかなか勇気もいるし、ある意味、孤独でもあるけれど、自分は自分だから(笑)
近年、上沼恵美子さんの発言あたりからか、
「あの人とは合わない」
「この歳になってまで、合わない人とは付き合わない」
と言った言葉を発する人が多いけれど、それはそれでいいんじゃない?!そう言った流行語に納得して、そうやって生きていければ上々だと思うよ。
そしてぴったしな方とお食事に行って楽しんでおられる方も多いが、帰宅後悶々とした気分で疲れている方の多さにも驚くよ。
前者なら幸いだけど、後者ならいわゆる「友人ごっこ」「親友ごっこ」で、それもまたいいのかもね。
そもそも「あの人とは合わない」「あの人とは100パーセントは合わない」という言葉ってどういう意味で使ってるのか知らん?
違って当たり前だよねって、常々思ってしまう。
それより要は好きか嫌いか!だけなんでしょう。
それをカッコつけて正当化するっていうこと自体がナンセンスなんだよね。
それが高じて集団化すると、どうなる?!いじめだよ、いじめ。
本人たちは気づいてないけど、悪意のない悪って、救いようがない。
物事を360度、いやもっともっと多角的に捉えられないのか知らんと感じてしまう。
まぁ!そんな感じかな。