ドナルド・キーン氏 1953年(昭和28年)、京都大学大学院に留学。写真は、京都駅。
本日、安部公房先生と親しかったドナルド・キーン氏が亡くなられた。96歳であった。
平成31年2月24日
安部公房先生と親しかったドナルド・キーン氏が亡くなられた。
96歳であった。
またひとつ、日本の輝きは失われてしまった。
ドナルド・キーンさん死去、養子のキーン誠己さんが談話「穏やかに永遠の眠りに」
毎日新聞2019年2月24日 15時28分(最終更新 2月24日 17時16分)
24日朝死去した国際的な日本文学研究者、ドナルド・キーンさんの養子で喪主のキーン誠己さんは同日、報道機関に向けて
「父は苦しむこともなく、穏やかに永遠の眠りにつきました。自ら選んだ母国で日本人として、日本人の家族を持ち、日本に感謝の気持ちをささげつつ、幸せに最後の時を迎えました。日本文学に生涯をささげ、日本人として日本の土となることが父の長年の夢でしたから、この上なく幸せな一生だったと確信しています」
との談話を発表した。
ドナルド・キーン 交友関係 (ウィキペディアより)
三島由紀夫とは1957年に知り合って以来、親交深い事で知られている。
安部公房も親友として知られていた。
友人であった安部公房からは、明治天皇について書くことを告げると、書けば右翼から脅迫に遭うだろうと忠告された。
何年かを経て実際書いてみると、どこからも脅迫されず逆に意気消沈したという。
交流のあった作家らは、上記の他に谷崎潤一郎、川端康成、吉田健一、石川淳、司馬遼太郎、丸谷才一、篠田一士など。
かつて大江健三郎とも親しかったが、大江の態度の変化によって疎遠になった。
大江から避けられるようになったことについて『私と20世紀のクロニクル』p.223-224では原因不明としている。
ただ、大江の縁があって、安部と終生の親友になれた。
1994年の井上靖文化賞授賞式の際には、出席できない予定だった大江が急遽駆けつけてキーンに祝辞を述べた。
本日、安部公房先生と親しかったドナルド・キーン氏が亡くなられた。96歳であった。
平成31年2月24日
安部公房先生と親しかったドナルド・キーン氏が亡くなられた。
96歳であった。
またひとつ、日本の輝きは失われてしまった。
ドナルド・キーンさん死去、養子のキーン誠己さんが談話「穏やかに永遠の眠りに」
毎日新聞2019年2月24日 15時28分(最終更新 2月24日 17時16分)
24日朝死去した国際的な日本文学研究者、ドナルド・キーンさんの養子で喪主のキーン誠己さんは同日、報道機関に向けて
「父は苦しむこともなく、穏やかに永遠の眠りにつきました。自ら選んだ母国で日本人として、日本人の家族を持ち、日本に感謝の気持ちをささげつつ、幸せに最後の時を迎えました。日本文学に生涯をささげ、日本人として日本の土となることが父の長年の夢でしたから、この上なく幸せな一生だったと確信しています」
との談話を発表した。
ドナルド・キーン 交友関係 (ウィキペディアより)
三島由紀夫とは1957年に知り合って以来、親交深い事で知られている。
安部公房も親友として知られていた。
友人であった安部公房からは、明治天皇について書くことを告げると、書けば右翼から脅迫に遭うだろうと忠告された。
何年かを経て実際書いてみると、どこからも脅迫されず逆に意気消沈したという。
交流のあった作家らは、上記の他に谷崎潤一郎、川端康成、吉田健一、石川淳、司馬遼太郎、丸谷才一、篠田一士など。
かつて大江健三郎とも親しかったが、大江の態度の変化によって疎遠になった。
大江から避けられるようになったことについて『私と20世紀のクロニクル』p.223-224では原因不明としている。
ただ、大江の縁があって、安部と終生の親友になれた。
1994年の井上靖文化賞授賞式の際には、出席できない予定だった大江が急遽駆けつけてキーンに祝辞を述べた。