高山彦九郎 皇后望拝の像と、色づきはじめたもみじ
大御門その方向きて橋の上に 頂根(うなね)突きけむ 真心たふと
橘 曙覧(あけみ)
江戸時代、ここ三条大橋は東海道五十三次の起終点にあたり、往時の都の出入口であった。今ここにある銅像は、高山彦九郎正之(1747〜1793)の姿を写したものである。高山彦九郎は、群馬県の出身である。18歳の時以来、前後5回、上洛したが、京都に出入りする折には、この銅像の姿のように京都御所に向かって拝礼した。その姿は
大御門その方向きて橋の上に
頂根突きけむ真心たふと
橘 曙覧
と和歌に詠まれた。
明治維新を成就した勤皇の志士達は、彦九郎を心の鑑と仰いだといわれる。後、明治の中頃の俚謡、サノサ節には
人は武士
気概は高山彦九郎
京の三条の橋の上
遙かに皇居をネ伏し拝み
落つる涙は鴨の水アサノサ
と謡いつがれた。